Attention Industry Complex
こどもちゃれんじに対する自分の抵抗をもうすこし長々と言語化してみる。気を済ますためであって、世間の親たちにケチをつけたいわけではない。
じぶんのこどもちゃれんじへの懸念は、Attention Resistance 勢すなわち Digital Minimalism, The Attention Merchants, Irresistible などを真に受けている人々の延長にある: この手のエンゲージメント強化型幼児教材は当初の目的(学力などの獲得)のためにユーザ(子供)の attention/engagement を exploit しすぎている。
一部の attention resistance はここに企業の悪意を見出しているが、個人的にはインセンティブのフレームワークみたいなものすなわち The System の帰結だと考えている。
ユーザーの Engagement すなわち DAU や MAU や似たような指標というのは、長いこと純粋な善だと考えられてきた。結果としてこれを the north star とする製品開発チームは多かった。たとえば例の OKR の本では YouTube がユーザの総視聴時間を the north star とした事例を OKR のケーススタディーとして紹介している。エンゲージメント駆動のわかりやすさはスケーラブルな問題として多くのインターネット企業の推進力となった。
が、今は Tristan Harris あたりからはじまった批判が高まって Screen Time(iOS) や Digital Wellbeing (Android) といったスマホ機能ができたり、ソーシャルメディアについてもしばらっくれきることはできず、最近は Like を隠すかもとまで言い出した。
そういうインターネットの動向を踏まえ子供向け教材コンテンツを見直すと、こいつらも似たようなものなのではないかという疑問が頭をよぎるのは自然でしょ。
類似性について考えるため、インセンティブの構造に目を向ける。
教材コンテンツを評価するのは子供(ユーザ)である。一方、金を払うクライアントは親である。親は基本的に子供の学力(思考力でもいいよ)を高めたいとコンテンツに金を払っている。しかしそれだけではない。まず、子供がコンテンツを好きになったなら、よほどのことがない限り取り上げたくはない。子の喜ぶことをしてあげたい親心がある。そして、子供が「一人で遊ぶ」コンテンツを重宝する親もいる。なぜなら子が一人でコンテンツを消化している時間は親が自由に使えるから。子供の相手で疲弊している専業主婦にとって、これが特に重視されがちであることはオンラインのレビューなどからもうかがえる。(こどもちゃんれじのサイトでもその効能を示唆している。)
このユーザ-クライアントの不一致にはインターネット企業との相似を見ることができなくもない。親と子の関係は、広告主とユーザの関係とはだいぶ違うけれど。
教材であるという建前を無視すると、教材コンテンツは「アンパンマン」のビデオを見せるのと大差ない。タッチペンは対話性があるぶんより没入度が高い可能性すらある。アンパンマンは没入度、中毒性の高さが広く知られており、子供を一時的にほっておきたい親たちに広く支持されている。同時にアンチスクリーン派には警戒されている(とおもう。)別の言い方をすれば、アンパンマンは「厳しい親」が伝統的に警戒しているアニメというメディアの枠にいることで、よくも悪くもゾーニングされている。
エンゲージ系教材は「学力」を隠れ蓑にしてエンゲージメント、没入を売っている面がある。この二重性に自分は強い反感を感じる。「健康」のラベルで砂糖の塊を売るシリアルとも通じているし、「メリット」を盾にその「コスト」を押し付けているという digital minimalism のソーシャルメディア批判と同じ構造でもある。
というわけでやめとくかという判断に至った。
この議論が孕むいくつかの居心地悪さについても記録しておく。
まず、そうはいっても世の中のメディアは教材に限らずエンゲージメントとアテンションで回っているんだからいつまでも逃げられはしないんじゃないの?解禁したときの反動とか心配ないの?という懸念。これはもっともではあるが、基本的に年齢が低いほど心身が無防備で没入系コンテンツの副作用が大きいというのが(副作用を信じる人たちの間での)共通見解なので、先送りは総合的にはマシな判断だと思うことにしている。待ってる間に時代の風向きが変わるかもしれないし。
つぎ、個人的といっても他の親のやってることの批判になってますよね、でもほんとに時間がない親だっているんですよ仕方ないでしょ!みたいな意見。親の時間のために子供をほっとく場面が必要なのはよくわかる。世の中にはベストではないが妥協として受け入れていることは色々ある。自分だって特別 pround でない選択は人に言わないだけで色々している。人によって priority は色々なので、他人の意見にいちいち腹をたてずお互い自分の価値観を信じてやってまいりましょう。
そのさん、おまえは attention にやられてるんじゃないの?それで子供に教育とかできんの?みたいな心の声。自分たちの親の世代が子供にピアノをやらせたかったように、自分たちの親の親の世代が子供を大学にやりたかったように、自分は子供に集中力をあげたいのだよ。なぜなら、それが今の時代には大切だと思うし、自分にはそれがなくて苦労しているから。こうした親の「希望を背負わせる」滑稽さは自覚しているけれど、笑ってもらっていいです。そういうもんです。
さいご、そんな神経質になんなくても大丈夫じゃないの?という話。まあそうかもしんない。ただ attention との付き合い方は自分の人生にとって重要な課題となっているので、無視はできない。他の人にとってどうでもいい話題なのはわかってるのでそっとしといてください。