モダン根性論と才能

読書記録バックログ

聞き始めた途中で、むかし日本語版を読んでいたことに気づいた。

Amazon の履歴によると 2016 年に買っている。子供が生まれる心の準備としてよんだっぽい。このときには気づいていなかったが、実はモダン根性論の本だった。モダン根性論の集大成たる Grit の出版が同年なので、まあ気づいてなくても仕方ない。ちなみに本書には Grit の作者が根性理論(?)の研究者として登場する。2012 年出版の本に登場するくらいには昔から活躍していたんだなあ。

この本は育児のガイドブックというよりは育児や教育をとりまく状況のジャーナリズムなので、いまいち actionable な要素は少ない。ただ読み物としてはまあまあ面白い。なお本書のいう character というのは要するに根性 (self control や self-awareness などの meta cognitive skill) を指している、性格というとなんとなく先天的なものに思えるが、ここでは non-academic な skill を意味するのに使っているのだね。

話は貧困が子供の教育というか発達に与える影響の話から始まる。貧困家庭、治安の悪い家庭にいると、そのストレスだけで知性が阻害される。だから貧困家庭に必要なのはいわゆるアカデミックな教育ではなく、それ以前に(今でいうところの)physiological safety なのだ、それを行政はわかってない、というような話。幸い我々はいまのところ貧困家庭ではないので、金銭以外のリスクファクターである夫婦仲はがんばって良い状態にしておかねばな・・・と身を引き締めた(いつも気にしてますが)。

そこから話は段々とモダン根性論的になっていく。早期教育の段階から meta-cognitive skill を扱うプリスクールがあるという話や、アカデミックにフォーカスした charter school KIPP の失敗と立て直し、などに触れる。また貧困地域の学校のチェスクラブを全国大会に導いた教師の話などにも多くページを割いている。また根性/characterを定量的に評価、フィードバックする学校なども紹介されている。


本書の本題とは少し外れたところで考える事の多い本だった。

むかし自分は、才能という先天的なものはアンフェアな存在で、根性(モダンでも伝統的でも)によるスキルアップは後天的に努力でなんとかなるフェアなものだとぼんやり考えていた。だから talent を強調するアメリカの(日本もかもしれないが)育児や教育には違和感があった。

しかし根性あるいは character, meta-cognitive-skill の重要性が裕福で教育熱心な人々のあいだで認識され、根性をつけるモダンな教育というものが(本書で説明されているように)研究開発されると、金を払ってそういう先進的な根性教育 (!) を受けられる学校に進学させたり、親としての資源を子の根性教育に傾けるといったことが起こる気がする、というかたぶん一部では既にやられている。

これはつまり、「本人の」意思でなんとかなると信じていた努力というフェアネスの象徴が、親の金で買える資本主義的アイテムになるということである。自分は勤務先の関係で根性あるエリートを観測する機会にまあまあ恵まれているが、当人らの生い立ちおよびそうしたエリートの子息がうけている扱いは、資本としての根性というアイデアとまあまあ合致している。

逆にアンフェアだと思っていた「先天的な才能」のようなものには、ランダムな要素があるぶん少しはフェアネスが残っているように感じる。以前は 「poverty が prevailed な学校にいる brilliant で talented な child に機会を」というようなアメリカ教育論におけるフェアネスの主張を「才能だって不公平なパラメタじゃん」と斜めから見ていたが、すくなくとも class や capitalism の限界を乱数の力で超えていける可能性のぶん、何らかのフェアさはある気がしてきた。いわゆる gift という呼称が腑に落ちたとも言える。

自分の子には金の力でもなんでもいいから根性や生命力を身に着けてほしい。がそれはそれとして、子のなかにある才能というのを見出してやるのも大切だと思うようになった。何の才能があるかはよくわからないが・・・。


ところで本書ではぱっとしない学区から躍進するチェスのチーム I.S. 318 のストーリをつかい、アカデミックなスキル(ここでは暗に暗記みたいのを想定している)ではなくメタ認知的スキル(自己認識みたいなもの)こそが重要だという話をする。チェスチームのコーチが何を子供に教えるか、訓練するかの記述がストーリーのキーとなっている。のだが・・・

これ根本的にそのコーチがガチで強いチェスプレイヤーである事実が一番重要なんじゃないのかなあ。ガチチェスプレイヤーが様々な成り行きからその(本来ならぱっとしない)学校のチェスクラブのコーチになったある種の偶然こそが快進撃の理由であって、非認知スキルとかどうでもよくね?というといいすぎだけれども、他のぱっとしない学校やぱっとしない親からするとまったく再現性のない他人事ストーリーだよね。この事例をもとに教師が非認知的スキルを教えるようになればぱっとしない学校もかわる、という暗黙の主張を支えるのは無理がある気がする。そんなことしたってチェスつよくなんないでしょ、どう考えても。

一方でこれは根性について一抹の真実を伝えてもいる: メタな根性というものは存在しない。というか根性だけをピュアに身につけることはできない。何らかの具体的な mastery を通じて根性は獲得される。この本だとそれは Chess だったし、Grit では Ballet (Violin だっけ? わすれた)だった。

自分の子にただ「根性をつけてほしい」と願うのは不毛で、本人が好きになれるもの、才能のあるものを探すのを手伝ってあげたり、それを身につける過程で根性がつくよう後押ししてあげるというのが、望まれていることなのだろうね。こうかくと大変あたりまえの話に思えますね。そうですね。

根性と才能と訓練というのはかように噛み合っている。モダン根性論の理解が深まる一冊ではありました。