Book: So Good They Can't Ignore You

So Good They Can't Ignore You: Why Skills Trump Passion in the Quest for Work You Love: Cal Newport: 8601420220263: Amazon.com: Books

Kzys が読んでいるのを見て興味を持った。Audiobook だと 6 時間半の薄い本。

基本的にはモダン根性論のバリエーションで、自分の好きなことをやるといっても実力 すなわち "Career Capital" がないと成功しないからまずは努力して実力アップに励もうな、という話。典型的なモダン根性論との違いは capital を構築した上でそれをどう invest するかにも重きを置いているところ。根性論者はつい努力してればいつかうまくいく、という話になりがちなので、努力の成果をどうやってやりがいのある仕事に繋げていくかを議論しているのは面白い。

というか、このひとそもそも読者の entrepreneurship を全然疑ってないのよだね。「おまえら cubicle に縛られた社畜なんてイヤだから会社やめて独立したいと思ってるだろ?ちょっと待て、今それをやると失敗するからまずは修行だ。しばらく修行したあとにどうやって自由の扉を開ければいいか教えてやんよ」みたいな論調。じっさい著者は高校生だった dot-com 時代に web design の会社を作って小遣い稼ぎをしていたという。そこから MIT で CS の博士取ってるんだから、勢いのある人なのですね。

自分もおおむねモダン根性論者なので基本的な主張に異論はないが、一方で entrepreneurship は全然ないのでいまいち対象読者じゃない感はあった。たぶん期待されている感想は career capital 稼がねば、だと思うのだが、自分はどちらかというと career capital の investment についてもうちょっと考えればよかったな・・・と反省した。

プログラマたるもの career capital をどう積み増すかについては普段から考えているわけだけれども、使い方は、自分はそんなに深く考えてなかったね。そしてチマチマ貯めこむことばかり考えていたせいでガツっと増やす機会を逸したとも思う。結果だけ見ると、自分が二十代に溜め込んだ career capital でやったことといえば大企業への転職なわけで、そこにまったく entrepreneurship はない。そして大企業勤めの最初の数年で貯めこんだ career capital の使いみちは本社への転勤に使った。これらの選択をしたときはそれなりに冒険したつもりだったけれども、振り返ってみると国債買うようなもんだよな。もうちょっと他になかったのかね・・・。などと career capital について思いを馳せたりした。まあ大企業そこそこいいとこだし自分は臆病者なんでファンタジーですが。

日本語のコミュニティだと「やっていき」とかいってる人々からはこういう肝っ玉を感じ、割と尊敬している。


それはさておき、気に入らないところも多かった。

著者は "Passion Hypothethis" すなわち follow your passion then everything follows みたいな考え方はダメだと主張し、典型的には blog で micro-celebrity になって食ってく、みたいなのを強く批判している。自分も microcelebrity は普通にダメだと思うが、一方でそういう人生ドロップアウト路線に入りそうな人が MIT の Ph.D からストレートで full-time の academia に進むエリートの権化みたいな人の努力信奉に耳を貸すだろうか。人生ドロップアウトしたくなってしまう人というのは努力して報われると信じにくい立場にいることが多いわけで、本書のメッセージは人生行き詰まって博打で一発逆転に走ったりコミュニストに転向しかかってるひとに向かって資本家が「金を稼ぐといいよ」といってるようなもの。相当感じ悪い。自分だったらうっせー黙ってろ、と思って投げ捨てるね。本気でそういう人を説得したいなら他の語り方があると思う。

あとは "Knowledge Worker は努力しない" という話を繰り返すのだが、別に肉体労働者もサービス労働従事者も努力してないよ!というか knowledge worker は普通に雇用されているいわゆる労働者の中では努力してる方じゃね?著者がと実際に比較しているのはスポーツやエンタメ産業など競争が激しく半自営業的な振る舞いを求められる仕事をしている人々と雇用され給与で生きてる労働者であって、要するにボンヤリ労働者やってると搾取されるから頑張って自由な資本家というか career capitalist を目指そうな、という話じゃん。White collar とかいっておけばまだ角が立たなかったのに、オレ定義で knowledge worker とか言ってると Drucker に祟られるぞ。

あと職業的成功で行き着く先のイメージが若干 Soft Skills の人みたいで夢がないというか、いまいち憧れが刺激されない。著者はせっかくエリートなんだからもうちょっと高尚なビジョンみたいのがあってもよくね?全体的な意識の高さに反した motive の selfishness がやや白ける。これは趣味の問題かもしれないし、素直で良いという見方もあるとは思うけれど。個人的にはモダン根性論にはそういうキラキラ成分を求めているのであった。

著者はモデルケースとして色々な人々にインタビューし、それを語りに取り入れている。(Amazon のレビューにはこれを emulating Malcolm Gladwell と評しているものがあり、わからんでもない。) ただこうした語りの常として我田引水感が強い。

特にひどかったのが冒頭と結末に登場するアンチ・モデルケースのエピソード。就職した銀行員の仕事に早々に嫌気がさしアジアに飛んで職を転々としたある若者は放浪の果て仏道に入り、座禅や公案などの修行を重ねる。あるとき数ヶ月がかりの難しい公案を乗り越えたあと、若者は気づく。環境が変わっても自分は変わらないのだと。彼は林の中で泣く。そしてしばらくのち仏道を去って元の銀行員に復帰し、ハードワークを重ね出世し世界を飛び回るのだった・・・・

・・・という話なんだけど、著者はこのエピソードを「ほら経験なしに世界に飛び出してもいいことないでしょ、でもキチッと働いて成果を出せば世界を飛び回るような仕事ができるようになるよ。だから Career Capital 貯めてこうな」と解釈している。でもさ・・・普通に考えてこれ仏教のおかげで小さな悟りを開き煩悩をすてたからキャリアに集中できたって話じゃね?むしろ放浪の成果じゃね? ほんとにキリスト教圏の住人は他の宗教への敬意がなくてひどい。だからお前ら戦争ばっかしてんだよまったく・・・と呆れた。


などと writing や storytelling の浅はかさにはケチをつけたくなる面もあるけれど、全体として著者の切迫感は伝わってきた。著者が批判する lifestyle guru / microcelebrity をふくむ多くの自己啓発本著者は、自己啓発自体を生業にしている故の胡散臭さ、信頼できなさを拭い切れない。著者の Cal Newport はたぶん本当にアカデミアとして成功したいと思っており、この本もそのための "quest" なのだと言っている。だから浅はかさはあれ嘘くささは無い。

一歩下がってみると、全編を通じ自身が lifestyle guru に堕ちる誘惑と闘いながらアカデミアとしてのキャリア的成功に obsess する様が伝わってくる。そこには憎めなさがある。続編の Deep Work は書き手としての成熟を感じ、それはそれでよい。というかんじで Cal Newport への理解を深めました。