Too Obvious To Innovate
今の仕事はやることがいくらでもあり、むしろ自分のスループットが全然足りておらず、総体としてそれはいいことだと思っている。やることと言っても必ずしもバグ直すみたいのばかりでもなく(バグも無限にあるが)、たとえば Kotlin 移行とかね。そういう感じ。まあ Kotlin 移行はリストの4番目くらいなのでできる気はしないけど。(さすがに他の誰かが先にやると思う。)
仕事がたくさんあると感じられるのは、それがデスマでない限り良い兆候である。仕事、特定の製品とか、の課題と、ある程度の解決への道筋を、自分が理解できているシグナルだから。
これは必ずしも自明でない。たとえば自分が下っ端すぎたり上司が micromanage だったりすると、自分の問題意識とは無関係に仕事が降ってきて、それは「やること」というより「やらされること」がいっぱいある状態といえる。そういうのは、自分の勤務先ではあんましない気がする(あるが、だいたいみんな逃げ出してしまう)。
勤務先で伝統的によくあるのは、製品が成熟しすぎていてほんとに何もすることがないケース。細かいバグ直しくらいしかない、みたいな。今は知らないが、自分がいたころのブラウザとかは、割とそんな感じだった。すると人々は頑張ってやることを考える。純朴だった頃の自分はその過剰さがイノベーションの鍵だと思っていたし、今でも一定程度そうだと思うが、実際には要らない機能や複雑なデザインを生み出す悪影響もあったと思う。
まあ組織としての良し悪しはさておき、自分にはそういう成熟・資源過剰状態は向いてなかったね。イノベーティブなプロジェクトを生み出せる力がなかったから。下手にイノベろうとして負債を生み出したり、人のイノベに乗っかろうとして痛い目を見たりした。
今の仕事は特にがんばってイノベる必要がなく、それどうみてもダメですよね直さないと、みたいのが色々ある、のみならず次々出てくる。これは(しばらくするとボスも気づいてなんとかしろと言ってきたりするので)ウンザリな面もあるが、無理してイノベらず明らかな課題を解くだけで成果になるのは良い。優先度だけ気を付ければ良い。
明らかにやるべきこと、すなわち明らかなダメさが沢山ある製品大丈夫なの、という不安はある。ただすくなくとも product-market fit みたいのは心配しなくていいわけで(そりゃスマホのカメラいるでしょ、みたいな)、あとは競合をなんとかすればよい。
競合は心配だしそんなに楽観もしていないけれど少しは希望が持てるのは、結局はリサーチ部門の神成果のおかげなのだろうな。彼らが無茶で過剰なイノベをして、それをなんとかエンドユーザの手に届けるのを手伝うのがアプリチーム。そういう役割分担。自分が誰かのイノベに乗っかっていることに変わりはない。ただそれが自分個人の小細工でなく組織のデザインである点が異なる。
あとはイノベの質だな。実際だめなイノベも沢山やってきて、そういう連中の相手はウンザリ。が、今のところはなんとかイノベ黒字に見える。エラそうだな自分。
自らイノベを生み出す厳しさに向き合わなくていいのか?向き合えたほうがいいんだろうけど、成熟製品の中で歪んだイノベに関わるのは嫌だし、すると会社を辞めた方が良いのではという話になり、それは諦めている。
この諦めを受け入れるなら、今の「他人のイノベの組織的なお手伝い」という立場はそんなに悪くないのだろう。そして将来チームを選ぶ際はイノベが黒字っぽいチーム、製品が良いといえる。これは「上手く行ってる製品」とほぼ同義な気もするが…。
同じ諦めの眼差しで、成熟製品部門にいた昔の自分のぱっとしなさを振り返る。あれは自分でイノベろうとしてうまく行かなかった挑戦と失敗の帰結であって、責めるようなものじゃ無いかもしれない。事後的に見れば無茶だったとわかるが、当時はそういうのもアリという空気があったのよ、てね。