Book: The Second Shift

著者 Arlie Russell Hochschild のファンなので聴いた。共働きについて書いたある種の ethnography で 1989 年に書かれている。

ある調査が明らかにした「共働き夫婦では女性の方が年間で一か月分くらい長く働いている」という事実を受け、女性は昼間に最初のシフトで働いた後家で二番目のシフトで働いてますよね、というタイトル。

本書は、まずフィールドワークで出会った 7 組の共働き夫婦を詳しくインタビューし、彼らがどのように家での労働を分担しているか(していないか)、それを夫婦それぞれはどのように受け止めているかを、夫婦ごとに章をわけて書き下す。これらの夫婦は、それぞれ異なるタイプの関係性を捉えていて、それぞれに面白い。

最初の数章は、前のインタビューや他の調査をうけ、働く女性の置かれている望ましくない身分を社会的背景の中に位置づける。

30 年以上前の本だが、夫婦のあり方とか今でも普通にありそうな話で、あんまり変わってないのかな、と思った。もちろんそんなことはなくて変わったことも沢山あるのだろうけれど、7組の夫婦のあり方が、どれも少しずつ自分の身と重なって他人事でない。自分はフルタイムの共働きじゃないんだけれど。2009 年に出た二版で追記された部分でも、調査の結果の変わらなさについて少し触れている。

安直なフェミニズムの本は男たちを大声で糾弾してうさを晴らしがちだが Hochschild にはそういうところがなく、見たものを描き出すところに注力している。そういうプロの社会学者の仕事が好き。


自分は、フルタイムで働いていた奥様に仕事をやめてもらってアメリカに引っ越してきて、 それでも奥さんはまたフルタイムの仕事をみつけて働いていたのに、 子供がうまれて一年したくらいで共働きは大変すぎると再びフルタイムをやめてもらい、 奥様は今はパートタイムで働いている。 働く女性を disempower しまくっており、我ながらろくでもない。 色々言い訳はあるが、言い訳でしかない。返しきれない貸しを抱えて生きている。

仕事を奪うというのは、収入を奪うとかやりがいを奪うみたいな面もあるけれど、それ以外にも金を稼ぐ能力を奪う、つまりある独立する力を奪う面があって、それが罪深い。自分は高校生の頃に父親が死んで、母親がフルタイムで働いていたおかげで無事大学まで行けた。そういう経験があるので、人は結婚してもちゃんと金を稼いでいた方がよいと割と心の底から思っていたはずだが、それを自分の結婚では実現できていない。Hochschild も終章近くで “The Working Wife as a Urbanizing Peasant” と書いており、根にある問題を同じように捉えているのが見て取れる。

自分の勤務先とかこのへんの tech worker だと移民でもない限り tech 共働きは割と普通で、そういう夫婦はだいたい nanny をやとっている。そうやって家事を outsource するのが、たぶん現代の(金のある)夫婦の主要な問題解決だと理解している。Nanny を雇う話は本書にも少し出てくるが、主要なツールとみなされている様子はない。なんとなく、それが 30 年の変化なのかなという気がする。

Hochschild は、nanny もまた親であり、そうでなくても nanny というのは low-paying job で、しかし/したがって nanny の子供を見てくれる nanny はいないという事実を指摘する。つまり nanny を雇うのは性差の向きに仕事を押し付けるかわりに経済力の向き(それはだいたい人種の向き)に仕事を押し付けることである。アメリカ的。この話は前によんだ他の人の本 にも出てきたのを思い出す。Hochschild もその後に書いた本で近い話題を扱っているらしいので読んでみたい(が Audible がない・・・)


自分の結婚生活の(政治的)正しく無さについて考える。そういう正しさを自分はそこそこ重視していたはずだが、なぜまたこんな有様なのだろう。

と考えると、結婚というものに心の準備ができてなくて、今でもできていないままなのだろうね。独身の若いうちから「結婚したい、子供が欲しい、こういう家庭をつくりたい」と願ってイメトレするというか、それについて考えることに時間を使ってメンタルモデルを作っておかないと、結婚して子供を持つというドラスティックな変化に備えるのは難しい気がする。割と早いうちからスッと結婚してめでたくやっている数少ない友人たちのことを思い浮かべると、程度の差はあれそういうパーソナリティを持っている。

ただそういう心構えって、ある程度現実が伴っていないと厳しいよね。つまり結婚できそうもないのに結婚するつもりで生き続けることはできないじゃん。

自分も大学生の頃くらいまではそのうち結婚とかするのだろうと曖昧な見通しを持っていたが、会社員になって早々に自分は結婚とかできなそうだな・・・と思い至った。落胆したが、同時にすごく心が軽くなったのも覚えている。叶わない願いを持ち続けなくていいと気付いたから。結婚しない、どうせできないからするとかしないとか気にしなくていい、と決めて暮らすのは、自分の精神衛生には必要なことだった。

自分にとって結婚は unlikely outcome だった。だから心構えができていないのは仕方ない。事後的にできる範囲で方向転換しつつ、残った正しくなさは受け入れるしかない。

返しきれないこの「正しくなさ」のせいで家庭が崩壊する心配はしていないけれど、結婚生活というもののポテンシャルを完全に引き出そうと思ったら若いうちから心の準備をしておく方がよかったのだろうなあ。でもそういう青春時代を過ごす並列宇宙の自分を想像するのはとても難しい。一ミリも想像できない。