On Misreading Chat

向井さんが書いていたものの続き。これはどっか別のところ (note とか) に書こうと思っていたが、Note 使おうと思うたびに心理障壁が邪魔をするのでとりあえずここに書いておく。

Podcast をはじめたきっかけは、もともと ATP とかの podcast を聴いていてフォーマットには親近感があったのと、話相手がいれば何か話すことはあるものだと Rebuild に読んでもらって感じたため。Anchor とマイク一本で始めれば編集とかもがんばらなくてよくね?という読みがあった。(この読みはどちらも外れた。)

運用。

パンデミック期の今は Zencastr で録っている。もともとは会議室に集まってスマホにマイクつないで Anchor でとればいいじゃん、そんなら負担も少ないし、と思っていたのだが、二人でマイクをシェアするアイデアはまったく機能せず、聴いてみると Anchor のような無編集も厳しいな・・・ということで、まずは一人一本マイク+ミキサー形式に落ち着いた。トラックを別にせずアナログで mix したのはトラック間の音のズレを懸念したから。この問題 ATP でよく言及されていたが、いざ Zencastr を使ってみるとそんなズレはまったく観測されなかった。

後処理は、基本的には Zencastr デノイザ(有償)を使うだけ。Kzys に来てもらったターンはちょっと空白除去をしたが、まあしなくてもよかったかな。なお Zencastr のデノイザの実体は Auphonic で、会議室で録っていた頃はこのサービスを直に使っていた。たぶん Rui-san に教えてもらったんだった気がする。

空白除去は、やるとマージナルには良くなるのだがめんどくさい。Podcast 開始直後は手動で削っていた。途中から Audacity の空白除去機能で削るようになった。そして最終的にはやらなくなった。後処理はカメラの RAW 現像みたいなかんじで、やればよくなるがヒマながないと無理。Podcast の音質がどうとかいう Twitter コメントをたまに見るけど、音質気にする人はほか聴いてちょ。

開始直後は無編集を厳しいと感じたのにいま編集していないのは、期待値の低下と話す側の慣れによるもたつきの減り、両方の結果だと思う。

フォーマット。

いくつか考えていた。最初はぼんやりと Rebuild みたいな対談を想像していたが、冷静に考えるとゲスト呼ぶとか人徳ない自分には無理だわ・・・と気づいた。

そんじゃ ATP のようにホスト固定でニュースやブログ記事についてコメントするのはどうかとおもったが、Podcast のためにウェブを読むというのも本末転倒だし、いかにもコンテンツ逆輸入出羽守ドヤり展開になりそうなイヤな予感がしてやめた。

今ふりかえると、それに加えて自分のホストとして話力が論外だったなと思う。Rebuild にしろ ATP にしろ一見 banal な対談形式が成り立っているのはホストが社会性や話術など特異な芸人的能力を発揮しているからだというのは、その後生えてきた日本語テック podcast や、ATP 周辺にある似たような雑談 podcast を聴くとわかる。普通の人の雑談は、退屈。

Podcast をはじめたころは今よりもうちょっと意識が高かったので、やるならプログラマとして糧になるようなことをやりたいと思った。自分はプログラマとしては書くよりは読む方が得意だし好きなので、読む活動の足しに出来ないか。ブログ・・・はイージーすぎるのでパスし、最初は本はどうかと思ったが、毎回違う本を紹介するのは厳しいしコンテンツ流用のグレー感もある。コード・・・は、やはり長すぎるのと、口頭で伝えるのは難しそう。というわけで論文を読むことにした。読みたいものは結構あるし、長さも丁度いいし、大概は open access で、著者は読まれたいと思っている。The Morning Paper や Linear Digression のような先駆者もいる。

結果としては悪くない選択だった。論文を読む行為は、腰は重いがやると満足度が高い。Podcast という活動に後押しされて腰が上がるのは良い。思ったより聴く人がいたのは、やっている最中はわからなかったが再開のアナウンスをしたらわかった。

ただ負担が高すぎて家庭の obligation に差し支えてしまった。これはフォーマットの問題というより自分の管理能力の問題だと思う。向井さんに誘われなかったらもう再開はなかったと思うが、せっかく再開したので sustainable なラインを模索しながらやっていきたい。

あと盲点だったのは人々はきほんまったく論文を読まないということ。「理解できるまで頑張って何度も聞いた」みたいなコメントをみるとびっくりする。時々間違ってるから一次資料当たるほうが良いよ・・・そういえば文章とか読まない人って結構いたね特に英語・・・。意図せずコンテンツ逆輸入業者になってしまったのは不覚だが、やむなし。いちおう自分の中の「英語でやっても恥ずかしくない」という逆輸入の閾値は守れている・・・と信じてる。

準備。

まず論文をハイライトとかしながらざっと読む。次に話す構成を考えつつ読み直しつつノートを書く。必要に応じて周辺の論文とかも読む場合もある。追加で読むのは大変なのでやらずに済むに越したことはないが、論文は本質的に hyperlinked media なので読まないとわからないこともぼちぼちある。

ノートは箇条書きで、話すことを基本的には全部書き出してある。最初はもっと普通の自分用 reading note みたいな内容だったが、それだと話の流れが論文の構成そのままになってダレるし、話すときに考えることが多くもたつく。そしてもたつくのは聴く方のみならず話す側としても割とストレスがある。

話すことを事前に全部決めると、論文の構成ではなく話して伝わりやすい構成に直せるし、話す時も淀まなくて済むし、ラク。結果としてノートは、当初の倍くらいに長くなっている。準備の時間は増えたが、ただ読むより話すことを考えながら読むほうが論文読みの体験自体が engaging になって楽しい面もある。アドリブの余地がなくなるが、どうせ即興して面白いこと言えるわけでもないのでいいです。

シリーズ。

あるジャンルの論文を続けて読むのは本人は満足度が高くて良い。ただ似たような話が続くので聴いている方はヒマだろうなと遠慮してしまう。収録頻度を減らすとこの傾向は顕著になるので、やるなら方法を工夫しないといけない。まとめて読みたいジャンル、いくつかあるんだけどねえ。まとめて読んで、まとめて紹介すれば良いのかもしれないが・・・。

ゲスト。

もうちょっと色々な人を呼べたら良いのにと夢想するが、社会性が低すぎて実現してない。ただ向井さんも今後は忙しくなるので真面目に考えたほうが良い気がしている。自分の友達とか同僚を呼んでもいいけど、それよりはオンラインで論文読み podcast をやっている人にお願いしてみるのも手かなと思っている。ただいくつか問題があるのですぐにはできないな・・・・。

まずゲストを呼ぶ場合は聞き手は二人でなく一人が良い。三人いると互いに間合いを測るのが難しい。そして聞き手としては自分より向井さんの方が二桁くらい良いので、向井さんにやってほしいが、ロジスティクスとかどうすんねん。不明。これが1つ目。

2つ目は、自分がそれらの podcast を聴いていないこと。失礼すぎる。自分は今は podcast は一つも聴いていないし、聴いていた時も日本語のは聴いていない。こういうのってよくないよね・・・。社会性を発揮し日本語の他の podcast を聴かせていただく必要がある。もうちょっと社会的やる気が高まったらがんばります。

メタな話: 対話形式というフォーマット。

世の中の日本語 tech podcast は Rebuild まねっこ雑談形式が多すぎて退屈だと思っているが、一方で雑談対談すなわちダベリと音声メディアの相性の良さは否めない。自分たちの番組は、もともとテキスト・・・どころか場合によっては数式やコード・・・みたいのを音声化しているため、音声メディアとの相性は必ずしも良くない。そこをブリッジしてあげるという趣旨といえばそうだけど、別にそういうトレーニングを受けてるでもなし。

音声とテキストの相性の悪さ、別の例として Audm がある。たとえば The Atlantic のサイトにある Audm 再録の読み上げオーディオ、聴いてみると期待に反し厳しい。Magazine writing は書き言葉のギミックに頼るうえに内容が薄いので、テキストにするとダメなのだった。Audiobook が大丈夫なのはなぜかよくわからないが、magazine articles ほど中身が薄くないのかな。ジャンル次第か。(なお Audm はいつの間にか NYT に買収されていた。だから The Daily に Audm の録音が降ってくるようになったのか。)

音声メディアの古株ラジオはなんか参考にならないかとあるとき NPR Training のガイドをいくつかひやかしたが、逆にこいつらはガチ勢すぎた。ただ対談形式をとりつつアドリブ少なめでちゃんとラジオ好きな誰かが台本を書くようにすれば、tech podcast にはまだブレイクスルーはあるだろうなと思っている。そんなブレイクスルーしてもプログラマ的にはなんにもならないが。

一人がたりだと台本書いてる人いそうだけど「一人がたり」というフォーマットの不利を覆すのは難しいと思う。対談形式は話者が切り替わるプロンプトで脳が刺激されるので、内容の boredom が和らげられている気がする。脳の反応をハックしてるとも言える。科学的根拠は無い。

こんな Podcast が聴きたい/やりたい。

雑談対談ではない Podcast, ちゃんと準備に時間をかけると決めればまだできることは色々あるはずで、人々やらないかなーと思いながらちらちら見ている。

他人はさておき自分が Misreading Chat に飽きたらやりたいこととしては:

  • コード読み podcast. どうやるのかは割と未知数だけど、やると決めればなんかはある気がする。
  • ドキュメント読み podcast. 最近のオープンソースプロジェクトはドキュメントがよく書けてるので、そういうのを次々に冷やかしていく。これは Misreading の枠組みでできる気もする。
  • Postmortem podcast. 古今東西の outage 資料をもってきて読む。これは自分がやっても感じ悪いだけだな。SRE 方面の人がやるとよい。
  • Stand-up Podcast. 最近書いたコードの話をする。たぶんそんなに長く話すことないけど、それが良いのではないか。一人 5-10 分くらいを 4 人くらい、Scrum の daily stand-up みたいなかんじでぱぱっとやる。リアリティショウ的楽しみを作りつ、コードを書く動機づけにならないか。

書き出してみると最後のやつが一番やりたいな。コードを書くきっかけとしての podcast. いいじゃん。一方でこれは Message Passing に fit する書式にも思える。

まあ読みたい論文も溜まっているので、しばらくは Misreading Chat やります。

追記

と思ったら向井さんちに子供ができて流石に忙しいらしく(向井さんちは共働きなのでなおさらである)さすがに継続はできなそう。ま、いつかそのうち、またね。