Having Fun on The Dead Carrier

主にプログラマとしてどうするかという話。

ここ 1, 2 年で、自分の将来はもはや望んだようにはならないことがわかってきた。次の世代のテクノロジを仕事にすることはできない。ML のみならずデータ・・・どころかサーバサイドに舵を切るとか、全然無理。今の仕事を維持するので精一杯。

これはひどく残念なことで、考えるほど憂鬱な気持ちになる。一方で、その憂鬱さに負けてしまうと物事は悪化する一方だとも思う。

業務外活動を通じてキャリアを新しい時代に進められないのがなぜかというと、資源が全然足りないからである。時間もないし、とれるリスクもない。(というか、リスクをとりたくない。具体的には収入減、超過労働したくない。)

持っている資源だけでなにかやろうとすると、自分の持ち札を生かしつつ投機的な手を打つことになる。具体的には、たとえば自分の立場から一番近い ML 系の仕事として on-device CV 系のインテグレーションをするモバイルエンジニア、みたいなのを目指して TF Lite で MobileNet なりなんなりをつなぎこむ練習をしておく、みたいな話になる。

が・・・別に CV もモバイルも TF Lite も興味ないのだよね。いや仕事の糧にはなると思うけど、自分の中から湧き上がる関心がない。なぜならモバイルも画像もあんまし興味ないし、TF ダサいな・・・みたいな中二心があるからである。これは例だが、他のパターンも似たような感じ。たとえばサーバサイドいいなと思うも社内インフラ興味ねー、みたいな。関心と必要性が一致しない。そして興味ないけど生存のために頑張るみ根性がない。必要があるのはわかってるけどやりたくない気持ちで麻痺してしまう。

ついでにいうと、そうした投資が実る見通しもそんなに高くない。それっぽいチームに移れる可能性はあるにしても、結局仕事は今と似たようなものになるんじゃないか。要するにエーアイ製品でエーアイじゃない部分のアプリを書く人になってしまう恐れ、というか、そうなるでしょという諦念。心を殺しやりたくない努力をした結末がそれじゃ、うっかり辞表だしたり自殺したりしちゃいそうじゃん。妻子あるとそういうの困るのだよ。


結局、自分のワナビー的願望と現実はあまりにかけ離れていて、それを繋ぐ道筋は見えない。無理に繋ごうとすると特攻や博打になってしまう。

それよりは、自分の残念な現実を受け入れた上である種の健全さを目指すほうが・・・健全なのではないか。プログラマとしても、人としても。絶望に歯を食いしばりながら戦うのドラマチックだけど、家族はそういうの迷惑だからね。かっこいいとか完全に自己都合な幻想。

ある種の、というのはつまり、プログラマとしての、健全さとは何か。まずコードを書いていること。業務でも業務外でもいいが、それなりに自分でデザインして何かを書いていること。新しいことを勉強していること。難しい理論でもいいし流行りのフレームワークみたな軽薄なのでもいい。本でも Coursera でもいいし hands-on でもいい。プログラミングとラーニングが常に並列している必要はないが、ある程度の時系列でみたときは両方あってほしい。そしてこうした行為を楽しんでいること。

つまり趣味としてプログラマっぽいなにかをしていること。

そういう趣味がキャリアを先に勧める役にたったりカネになったりすれば素晴らしいが、そういう実利がないからやらないのは本末転倒である。

なので業務外活動は、しょぼくても趣味性を優先したプログラマ的活動を継続していくのが良い、気がする。「やるべきこと」のやりたくなさに麻痺していると時間も無駄になるし精神性も損ねてしまう。既にだいぶ損ねている。


キャリアの足しにならないしょぼいコードを書いたり本を読んだりに余暇を使う先には何があるのか。キャリアという意味では直接には何もない。ただプログラマ・ソフトウェア開発者としての基礎体力みたいなものへの寄与はある程度期待できる。仕事でしかコードを書いてない大企業下っ端というのは危うすぎる。

あと楽しい趣味があるのは人生にとって良いことだと思う。職業生存の努力がその楽しさを殺してしまったら、これは実際に起きていることだが、人生が辛くなる。そして人生が辛いと家族との関係が損なわれてしまうなど悪循環になる。

キャリアに投資しないでレイオフとかされたらどうすんの、という話。レイオフされてもビクとしもない強いキャリアを作るのはどのみち無理というのが話の出発点だった。レイオフされて困った時、会社に希望を全部つっこんだ末に絶望するよりは仕事は残念だけどプログラマって楽しいもんだよね、と思えたほうがマシ。クビになったら・・・妻子には悪いけど日本に逃げ帰って知り合いにでも匿ってもらおうではないか。

我ながら根性がない。キャリアを進めるために努力できる人と自分は何が違うのか。現時点での瞬間風速的な根性の差というよりは、キャリアを進める努力を楽しい・実りあると感じられるよう人生を舵取り出来なかった差だと思う。継続的根性の差と言っても良い。これは残念だが、既に起きてしまったことなので仕方ない。


なおこれは別に業務を頑張らないという話ではない。仕事は業務時間の範囲でちゃんとやる。ただ業務外の時間は「仕事」の価値観に支配させず楽しくやる。「仕事は仕事、趣味は趣味」というやつだな。

この結論が具体的に何を意味するかは、つづく。というか今から考えます。