書く気力のなさ

せっかく 100 年に一度的な大きな出来事の中を生きているのだから何かしら記録を残したほうがいいなと思うも、どうにも気力がわかない。

時間がないというのもあるし、生活があまりに家族との関係に満たされており個人的な要素がかき消えているので、表立ってなにか書く気になれないというのもある。

何か立ち入ったことを考えるのも、目の前にある uncertainty が大きすぎてなにか計画なり分析なりをする意欲がわかない。うつ病というほどではないが、もう日々をやりすごしてい行くしか無いという諦めのような達観のような、そんなかんじ。先の心配をするといっても、まずは家族として病気にならず、心の健康も損ねず、というベースラインの達成が目下の課題で、仕事とかマジどうでもいい・・・というと語弊があるけれども、人としてのベースラインを満たそうとした果てに仕事にあぶれたりしたのなら、それは仕方ないという諦めがある。

目に見えない色々なものが壊れて、失われて、でもそれが厄災というものなわけじゃん。別に自分は頑張っていないわけではなく、優先度をつけて頑張ったら仕事やキャリアにまわす予算が残らないだけ。悲しいことだが、世界を覆う圧倒的な難しさと比べたらほんとにささいに思える。今のところ給料の払われる職があって、住む場所があって、食うものがあって、みな健康で。でもそれを支えるのに手一杯で、他のことに気を取られる余裕がない。

自分は今まで相対的に余裕があったから色々と余計なことを考えることができたが、厄災が起こる前から世の中にはベースラインを支えるので精一杯の人生を送っている人が沢山いて、きっとこういう気分だったのだろうな、と思う。ベースラインを支えることのできない人も沢山いるわけだが、そんな他人に思いを馳せる心の余裕はないのだった。