Asthma and Fear

喘息関係で医者に行く手前、軽く予習。CDC のサイトをチラ見したあと、リンクされていた NIH のガイドにも軽く目を通す。

基本的には 1. 診断を受けて薬をちゃんと飲みなさいね 2. 環境要因を排除しましょうね。という話だった。そして NIH 的には 1 がメイン。そして投薬などのガイドラインを読む限り、いまのところ医者は間違ったことは言っていない様子で安心。自分はいまのところ short-term relief の薬しか使っていないが、long term control の薬も受け入れた方がいいのかもしれない。Inhaled corticosteroid の副作用は、割と控えめっぽいし。Oral はやばそうだが。まあしかし、あまり嬉しくはないなあ。環境要因の理解は、なんとなく自分が子供の頃から大きな進歩はないように見える。


そして自分はそれら環境要因の回避をかなり内面化しているのを思い出す。ある時期までは気にしていなかったが、奥さんと暮らしはじめてからというもの自分の神経質さを痛感している。最初のころ奥さんの家に遊びに行ったとき、あまりに possible asthma triggers に溢れていて発作が起こるのではないかと恐怖で気が気でなかった。埃をキャッチする布製品や毛糸製品ばっかりじゃん!やめてくれよ!みたいな。発作がおこることはなかったし、もうだいたい慣れたけど。

布にせよ毛糸にせよ、肌触りがいいから人々は好きなのだよね。一方でこれらは house dust の巣窟になりがちなので、自分は無意識に避けている。カーテンはツルっとした化繊のものを買っていたし、ソファもラグも持たなかった。自分の親が同じ方針だったので特に気にしなかったが、結果として家は殺風景になる。屋内に温かい景観を与えたい人とは意見が衝突しがち。

部屋に置くものに限らず、この喘息トリガーの回避を内面化した態度とそうでない人の衝突は時折おこって困惑する。最近のハイライトは去年のフランス旅行。喫煙者満載のカフェで「ゆっくり過ごす」みたいのは完全な恐怖体験なのだが、そういう感覚は理解されない。

ただ、そりゃ理解できないよなとも思う。他人の恐怖を理解するのは難しい。たとえば被痴漢行為経験者が公共交通機関に感じる恐怖とか、自分はきっと理解できないよね。これは辛抱強くコミュニケーションしていくしかないのだろう。

自分の子は喘息持ちっぽい兆候を見せており、自分は家の現状がもつ悪影響を心配している。しかしこれはまだ顕著化していない問題なので、フェアな形で懸念を伝えるのが難しい。あまり悪化しないといいなと思いつつ暮らしている。