A Long Reflection 2019 (5) - Extracurriculars

もくじ。

業務ではない課外活動。趣味プロジェクトとか勉強とか。

趣味プロジェクトは、実用性を重視しすぎて小物ばっかりつくったのがよくなかった。役に立とうが立つまいが挑戦として OS なり言語処理系なりを作ればよかった。そういうのをやらなかったのは根性がなかったせいでもある。そして実用といいつつ使えたものは殆どない。なさけなし。

座学/読書は、もうちょっとノートをとるだとか環境に気を使うとか、ムダに挫折したり放置したりしないよう勉強の仕方というものを気にすべきだった。ここ 4-5 年で多少改善したけれど、時すでに遅し。挫折や放置はそれ自体も問題だけれども、そのあとしばらく勉強する気を削いでしまうのもよくない。

コード読み。少しはやったが、日常にするところまでたどり着けなかったのは残念。コードを読む日常に憧れがあったが、どうすればよかったのかはよくわからない。雑誌連載は動機づけにはなったが、ややきつかった。

競技プログラミング。全然やらなかった。まあいいです。何らかのコードを書いていればそれでよいと思っている。個人的に趣味プロジェクトをがんばりたかった。

英語。まあ、こんなもんですわ。入社直後、あるいは引っ越し直後にもっとがんばればよかったとは思う。やる気と時間のバランスがよいはずの時期。あと、やはり勉強法みたいのにもっと気を使うべきだったね。特にキャリア序盤。

総体として、もうちょっと高い目標をもって根性だしてメタスキルも高めて継続的に色々挑戦できればよかった。昼まで寝てマンガ読んで酒を飲みに行くのが青春だった身には、まったく高望みだとも思うけれど。


他人となにかやること。

小さい活動をもっとたくさんやればよかった。たとえば自分はむかし小さな読書会をはじめた。実際の運用は別のちゃんとした参加者の人が引き取ってくれたから続いたのだけれど、これはよかった。たまに友達と小さなプロジェクトをやってみたり、「もくもく会」みたいのに顔をだしたりして、それもよかった。こういう小さな集まりをもっとカジュアルかつ継続的にやればよかったと思う。場所を探すのが億劫だった記憶があるけれど、別に自宅で 2-3 人の集まりを持てばそれでよかったね。最後の数年住んでいた広尾のボロアパートはさすがに厳しいかもだが、日頃そういう集まりをしていたら引っ越しに際しマシな部屋を選んだかもしれない。

よその勉強会みたいのは、まあ、たまに出るくらいでよかったかな。自分が話さない勉強会はきほん意味なかったなと思う。自分が話すのはオフラインで個体を認知される意味で良い。飲み会を尊ぶ声をオンラインでたまに見かけるけど、自分にとっては二日酔いになるし喉をやられ風邪をひくしで、あまりいい思い出はない。その割に頻繁に顔を出していたが・・・。

オープンソース。自分の勤務先だと「仕事で使うから」みたいな理由をサードパーティのプロジェクトに見出しにくく、結果としてコントリビュートする気があまり起きなかった。残念だけど、本業として数年やったからいいかなとも思う。残ったものはないけれど、やっている間は楽しかった。会社のカネで meetup にも参加できたし。趣味と仕事が一致していた瞬間。


これらを書き出してみて思うこと。

趣味や勉強の支えとして、友達と一緒に勉強したりコードを書いたりをもっとしてよかった。特に若い頃はまわりのひともみなヒマなわけだし。なぜそれをしなかったのか今になって思うと不思議だけれど、内向的すぎとか臆病とか腰が重すぎとか色々理由はあげられる。あまり考えもしなかった気がする。友達とやることなんて、酒のむか飯くうくらいだったような。結局、そんなに意識高い身分ではなかったのだよ。

友達となんかやる方がいいという感覚は snippet train なり podcast なり、比較的最近の経験に裏付けられた気分にも思える。結婚して引っ越してヒマも相手もいなくなった後に気づいたのは残念。

ライフハックやメタスキルみたいのを重視するようになったのも最近の傾向で、むかしはもうちょっとバンカラ志向だった気がする。年を取って自己啓発にかぶれたと見ることもできるが、パッショネイトバンカラ野郎を気取るには期待値に対し素の実力が足りない。