A Long Reflection 2019 (2) - Grit and Expectation

もくじ。

事実関係の振り返りを横断的に眺めると、繰り返しあらわれる話題がある。自分の気分の底を流れるテーマも頭をよぎり始める。

まずひとつめは、このひと根性ないね・・・ということ。これはモダン根性論に感化されて以来より一層思う。特に大学時代の自分のやるきの無さときたらやばい。学費の!もとを!とるきあんのか!

つぎ。これは根性のなさに少し関係があるけれど、仕事の決め方が雑。不確実性を扱うのが苦手で、探索が苦手。仕事を選ぶタイミングというのはすごい自由度があり、それゆえ不確実なことも多い。だから色々な手を考え、それだけでなく実際に話をきいて、いくつものオプションの中から選ぶ方が良い。自分は考えることは一定程度しているが、おおむね思い込みでバンと決めている。話を聴くのをさぼっているし、不安定な状態を嫌っている。これは自分のコミュ障や臆病の帰結ではあるけれど、もうちょっとがんばっていいのではないか。とおもって前回はちょっと頑張ろうとしたが、そもそもレジュメでお断りされてしまったのだった。なおバンと決めてる割に現状さほどひどいことになってない点は自分の運を讃えたい。

仕事選び雑さという点だと、割といつも仕事が辛くなって雇用主やチームを変えており、それが雑さにつながっている面もある気がする。ほんとはもっと心に余裕のあるとき仕事を変えると良いのだろうね。その反省から前回は三年たったらチームを変えようと思っていたが、三年待たずにトラブルに巻き込まれてしまったのだった。

つぎ。大企業と中小企業の違い。中小企業時代の反省というのはあるわけだけれど、それらは今の大企業の文脈にまったくあてはまらない。例えばチームやプロジェクトのリードの仕方、みたいのは考えても無駄。リードしないし、チームの構成人員もリソースも全然違う。まあ10年近く前のことを反省しても仕方ないんだけど、このギャップは未だに埋め切れていない感がある。同じような大きな飛躍として受託開発と自社開発の違いもある。国の違いもある。ただ自分の中でこれらは大企業と零細の違いとうまく区分できていない。こうしたギャップを埋めるのに自分はだいぶ苦労したなと思う。これはきっと稿を分けるのが良いでしょう。


大企業に関するメタな感想として、自分の期待値はきっと釣り上がっているのだろうとも思う。感じの悪さを恐れず書くと、大企業の中やその周辺の人々はわりかしエリートである。そういう人々の振る舞いを baseline にすると自然と期待値があがる。しかし現実の自分の baseline はどちらかというと中二病気味なボンクラである。中二ボンクラな自分の期待値と大企業エリートの期待値には重なる部分もある(「すごいプログラマになりたい」とか)が、大きな違いとしてボンクラにはロードマップがない。エリートにはある。別の言い方をすればボンクラの期待値はファンタジーだがエリートにとっては現実だ。ファンタジーを現実として突きつけられると、あ、ごめんなさい・・・みたいになる。とはいえいまさらファンタジーに戻すこともできないので、無理な期待値にちょっとでも近づけたらとできる範囲でしたばたしてる。(にも似たようなこと書いたな。)

ボンクラ・・・というかノン・エリートによるロードマップレスの「がむしゃらな頑張り」がファンタジーを現実にすることもたまにはあるらしく、そういうストーリーはそれはそれでかっこいい。ただ自分は該当していない。あとここでいうエリートは長期間着実に努力と成果を積み重ねられる強い自制心の持ち主という意味で使っている。これは現実のいわゆるエリートとだいたい重なっているが、もっと地味なエリートもいる。とはいえ自分くらいの年齢になるとまあまあ結果がでてる気がする。