時間予算日記 (15)

朝のスケジューリングを工夫した結果 、妻子のドロップオフ最遅時点まで家族として 30 分近くの空白をつくることに成功する。が、その 30 分は「ゆっくり過ごす」という形で消化され、自分は出勤を早めることができない。所定労働時間を満たせない日々が続く。どれだけ時間を shave out しても無駄なのではという絶望が頭をよぎる。フラストレーションで頭が痛い。

冷静に考えるとこれは「時間がない」ストレスではなく「時間をコントロールできない」ストレスなのだろう。20-30 分くらいの時間は勤務時間内ではしばしば浪費されるが、これほどのストレスは感じないわけだから。

朝キチキチと物事を進めて時間を前倒すのには、それはそれで子を急かすなどのストレスがある。それが「所要労働時間を満たす」の対価に見合わないと暗に捉えられているのだろう。結局のところ働くというのは個人的な所作で、仕事への態度には深いレベルで理解しあうことのできない部分がある。仕方ない。これを説得することに関係性のバランスを費すのは割に合わない。

かわりに退社を 30 分おくらせることにする。退社時間は自分がコントロールできる変数。「時間をコントロールできない」不満を、時間に対する自分のコントロールを行使することで解消する。まあ、妥当。

対価はある。帰宅後の進行が遅れ、子の就寝が遅くなる。30 分ぴったり遅くなることはないにせよ。多少ね。これは望ましいことではないが、自分の精神衛生にもあまりマージンがない。すべてが思い通りにならないのは仕方ない。


子の起床を遅らせることで、朝の bin packing によって生まれた時間を「朝食後にゆっくり過ごす」ではなく睡眠に割り振ることはできる、かもしれない。子は 30 分遅く起きて、家族は従来通り学校の時間にあわせ家を出て、自分は 30 分退社を遅らせる。結果として子の就寝は 30 分遅くなる、というイメージ。子の睡眠は失われず、自分は失われた労働時間を取り戻す。

これでよさそうだな。まあ自分の帰宅通勤は kick scooter によって 15-20 分短縮されているので、実際は上に書いたよりマシになっているはず。