Antisocial

Antisocial: Online Extremists, Techno-Utopians, and the Hijacking of the American Conversation

Alt-right や white supremacy と呼ばれる人種差別的インターネットトロルがソーシャルメディアなどを駆使しいかにオンラインの言論を制圧したかを書いた本。

よく取材しており、自分のように alt-right とかそういうめんどくさいものは目にもしたくないし目にする機会もない外国人にとっては現状を追体験できる優れた読み物だった。オンラインのメディアを熟読のうえ色々引用してくれるだけでも(話題の性質上)臨場感があるが、それだけでなく Alt-right 方面のブロガーに密着取材(本人の許可を得たうえであちこちに同行する。ホワイトハウスにまでいく。)してみたり、そのカルトを抜け出してきたインサイダーにインタビューをしたり、Reddit の CEO にも取材をし、同社が利用規約変更の日の社内 war room に入り込んでレポートをしたりで、始終読ませる。

著者は The New Yorker という伝統的左メディアの人間で、ソーシャルメディアみたいなテックの連中は disrupt とかいって従来の gatekeeper を駆逐したけど、それでいいんですかね?やっぱり何らかの gatekeeper 必要だったんじゃないんですかね?とたびたび問う。自分は著者の批判する techno-utopian の末席におり、この主張にはほぼ脊髄反射のレベルで鼻白んでしまう。ただ social media は逆戻りのできない社会実験の失敗だったいう確信は深まった。社会として有害なものが歴史の成り行きで消えない傷になる例は過去にも色々あるので(タバコとか)、それ自体は仕方ない。ただ社会としては失敗に合意のうえ move on してほしい。時間はかかるだろうけれど。

著者はトーマス・クーンを引きながら paradigm shift の話をする。そして alt-right のメディア戦略の根底にあるアイデアとして paradigm shift のインクリメンタル・バージョン Overton Window が繰り返し言及される。Alt-right による window-shifting に著者はしつこく警鐘をならす。

自分はアメリカの思想的シフトよりソーシャルメディアの先行きの方に気をとられている浅はかな techno-utopian なので、同じ文脈で social media という社会実験の精算について思いを馳せてしまう。つまり social media が有害であるというアイデアは新しい paradigm として世代が進むにつれ常識となり、まともな現代人の大半がタバコを吸わないようにまともな大人の大半がソーシャルメディアをやらない時代がくる、という形で実現される・・・と予言できる確信はまったくないけれども、実現されるべきだと思う。トーマス・クーンがパラダイムシフトのドライバを世代交代で説明したように。


なお自分はブログがソーシャルメディアと比べて本質的にマシだとは思っていない。ブログはインターネットにおけるブロードキャストのシステムがソーシャルメディアに向かう未完成な通過点で、その未完成さゆえに致命傷を逃れた・・・というかダメージがちょっとマシだった。(それでも致命傷には至っているかもしれない。)

インターネットをつかい friction free で voice を broadcast するというアイデアが根本的なヤバさを孕んでいる。人々が private messaging のような non-broadcasting media に流れているのはその煙からの避難なのだろう。逃げた先がマシかは誰にもわからないが、ここが燃えているのは誰の目にも明らかだから。

Zuckerberg とかは明らかにこうした時流を理解しており、だからこそ private messaging へのシフトを急いでいる。一方で Antisocial の著者が激しく批判する free speech の擁護を改めて打ち出してくる。Zuckerberg の中指的態度は Ukraine での密談を突き上げられ開き直った大統領の態度とどこか共時性がある。

NYTimes は 大統領を reckless, Zuckerberg を defiant と評しており、ほんとにそう思う。そして reckless なほうはともかく defiance にはちょっとだけときめいてしまう自分もいる。このときめきこそが alt-right のような social media mastery の狙う精神的脆弱性であり、日本語ではそれを中二病というのだった。

自分の中の techno-utopian で libertarian でしかし communist という矛盾は失敗した社会実験の一コマとして時代をうねる paradigm shift の波の狭間に消えてゆくのだろう。いいよ、消し去ってくれよ。