アメリカの騒音

via Why Is the World So Loud? - The Atlantic

Arizona に住む男が近隣を覆いはじめた謎の騒音に苛立ち、正体を追いかけたらデータセンターだった、なんとかしたかったが行政とかは全然助けてくれなかった、という話。2つの点で興味深かった。

まずアメリカってなんだか妙に色々音がデカイなとは引っ越してきてからずっと思っており、その印象を裏付けてくれた面があること (aka. the confirmation bias.)

家の外は電車、車、芝刈り機に枯葉掃除機、謎の排熱施設など。屋内も掃除機、洗濯機、食洗機、冷蔵庫、空調までなにかと音がデカイ。まあアメリカは主語でかすぎで a suburban cheap  apartment dweller perspective である点は disclaimer すべきだけれども、音でかいよね。なにかと。日本は無駄な音楽やアナウンスを流すスピーカーからの音害がしばしば非難されるが、それ以外は割と全て静かじゃん。スイスとかフランスとかそれすらなく完全に静かで素晴らしかったなそういえば・・・。

二点目として、データセンターと石油の比喩的な近接。巨大資本の富の源泉である点には以前から親しさを感じていたが、赤くて貧しい州の規制の弱さにつけこんで環境を犠牲に資源を吸い出している点にも類似性がある。データセンターは建物がでかく排熱がある点である程度は環境負荷があると誰もが感じているだろうけれど、個体差はあるとはいえまさか騒音が届くような近所に人が住んでいるとは思わなかった。

データセンターの騒音は、他の環境問題にくらべると技術的にはまだいくらでも改善の余地があるように思える。防音の施策は色々ありうるし、立地だって妥協できる。一方、問題の相対的な subtle さと巨大資本のアグレッシブさを照らし合わせると対策がなされる期待も薄い。記事も漂う悲しさ、無力感を伝えようとしている。資本と地域コミュニティの一方的な戦い。

こうしてみるとデータセンターの騒音ってすごいアメリカ的な現象だね。そしてふと思い出すに、大手町のデータセンターはすごく日本的というか東京的な存在だった。金融オフィス街のビルの一つがさりげなくデータセンターであるカオス感というか詰め込み感というか。クラウド以前の牧歌的な存在だったとも言えるが。シンガポールのデータセンター群はどういう立地なのだろう。


なおリンク先の記事は無駄に長い上にデータセンターの騒音問題自体はあまりちゃんと取材していないので、がんばって読む価値は薄め。