時間予算日記 (13)

連番は適当です。過去

今日から娘のプレスクールが始まる。同時にデイケアはしばらく休むことにした。というかもうデイケアに復帰することはなかろう。

娘の通っていたデイケアは家族経営のこじんまりとしたいいところだったのだが、ボスが病気になって業務から抜けてしまった。間が悪い事に No.2 も自分の子ができて育休に入ってしまった。ケア業務は残されたスタッフが回しており、当然のように色々と細かい問題がおきてきた。病気じゃしかたないな・・・などと思っていたものの段々と不満が重なり、子の potty training への対応で親(我々)の許容範囲を超えた。もともとはプレスクールとデイケアに2日づつ通わせようと思っていたが、デイケアは中断してゆこっぷ(奥様)が家で面倒を見ることになった。

これまでデイケアには週に三日通っていたのが週二回のプレスクールになる。したがって奥様の可処分時間がすくなくとも一日分(八時間)減る。プレスクールはデイケアより早く終るので実際には週に 12 時間くらい子の預け時間が減る。これを二人で分担すると一人六時間。実際には奥様に見てもらう割合が多いとはいえ、昼間に家事に使える時間がへるぶん自分が子の就寝後および早朝などで引き取らないといけない。

同時に、これは another wake-up call だとも思う。

去年は病欠から評価減に伴う雇用の危機感の高まりにともない奥様にフルタイム勤務を諦めてもらい家庭を立て直した。しかしそうしてうまれた時間を自分はしょうもない余暇活動、すなわち podcast に使ってしまい仕事はともかく親としての仕事をだいぶさぼってしまった。肉体労働などの routine はやってきたが、頭を使うのをさぼった。結果としてデイケアの不備への対応の遅れにかぎらず色々と育児が後手にまわっている。たとえば potty training はもっと早めに始めるべきだと思っていたが procrastinate してしまったし、具体的には書く気にならない似たようなさぼりが他にもある。これは親としてだいぶダメ。

Podcast は締め切りの力が本来の優先度を invert しがちで、それが意図しない威力をもっていた。元々の期待としては締め切りの力で procrastination を押しのけ論文を読みたい願望があり、その点では機能した。ただ家事育児のようなより高い priorities まで押しのけてしまった。

家事育児のうち単純な labor はやることがはっきりしていて成果も見えやすいので単にやればいいのだが、子や家庭からの subtle signals を読み取りやるべきことを考えて対処する、という抽象度が高くて成果が見えにくく、多くの知的資源を必要とするもの・・・いわゆる緊急度が低く重要度が高いもの・・・はさぼられがち。そして問題が顕著化してから手を打とうとすると時間も選択肢も限らてしまう。

こうした高位の家事育児をちゃんとやるには、何らかの気配や違和感を感じたときに、これは何がおきているのだろうと時間をとって考える必要があり、そのためには精神的余裕が必要。あと自分の attention budget を家事育児に傾斜分配するのも重要。締め切りはこれらを阻害してしまう。自分には仕事という避けがたい締め切り源があるのだから、そこに余暇での締め切りを上乗せするのは良くなかった。

要するに遊んでないで家事育児しましょうね、という話。


可処分時間の更なる減少にともない毎週 podcast をやるのは選択の余地なくムリとして、上のような理由から締め切り源としての podcast も望ましくないことがはっきりした。

やめてしまうのが一番簡単。ただ寂しさはある。当初は頻度を減らせばいいかと思っていたけれど、それでも締め切りのプレッシャーは残る。なんとかしたい。

少し長めに、たとえば半年くらいの休みをとって、その間の余暇活動で読める範囲の論文を読む。もし紹介したいものが集まったら、それを消化する 4 回くらいの短いシーズンをやる、くらいのリズムがいいかなあ。つまり締め切りなしでネタをあつめ、集まったら放出する。あつまらなかったら残念でした、とパスする。

この「話すことができたらやる」路線はふつうにやるとまあり機能しなそうだが、ロジスティクス側の工夫によっては workable かもしれない。あとなんとかしてホストを増やし、コミュニティとして存続することができたらいい気はする。でもそれは人を探すのが大変だな。

まあとりあえず一旦休みにして、そのあいだに考えよう。