Casey

ATP の co-host である Casey がフリーランスという名のフルタイムポッドキャスターとして会社をやめてから一年くらいたった。楽しくやっている模様。

Casey は紛うことなきインターネット芸人プログラマだ。自分はインターネット芸人的プログラマがあまり好きでなかったし、自分のインターネット芸人的側面も嫌だった。ただ Casey を見ていて少し意見が変わった。嫌いなのは単に特定のインターネット芸人のステレオタイプなのだとわかった。

一部の芸人プログラマは芸人としての力を使ってプログラマとしての実力を水増ししようとする。それは意識的かもしれないし無意識かもしれない。本人の意図とは別に聴衆が勝手に誤解することもある。いずれにせよ芸を磨いた方が良いプログラマに映る事実がインターネットのプログラマコミュニティに与えるかもしれない影響は、自分にとって好ましいものではなかった。

Casey は芸人プログラマであるものの、自分の実力を boast するところがない。もっといえばほとんどプログラミングの話をしない。それは ATP なり Analogue の聴衆がプログラマより広い聴衆(すなわちアップルファン)だからという面はあるだろうけれども、それよりは本人のパーソナリティに思える。

Casey は nice person である。あるとき Casey のつくった小さなインディーアプリが TechCrunch にとりあげられる出来事があり、当人を含む多くの人を驚かせた。その件を振り返る ATP のエピソードで、ホストの Marco Arment はこれを Casey の niceness に attribute し、それを flatter した。TechCrunch の編集者と Casey やその仲間たちは古くからの友人であり、その関係が記事の登場に影響したというその指摘にまったく嫌味はなく、ただ being (very) nice であることはときに credit されるし、そんな君をみんな好きだよ、という話。Casey の being nice なところが好きでたまに Analogue (当人メインの podcast) を聴いている身として、これはよくわかる。

卑近な見方をすると, Casey は自分の personality でカネを稼いでいる。それを生活の糧にしている。そして Casey がプログラマである事実は personality に彩りを与えている。例えば自分は TV に出てくるような一般的な「いい人」芸人には興味がない(テレビみないし)が、Casey は ATP をきっかけに存在を知り、その性格ゆえにフォローしている。Marco Arment は以前「Podcast は話題をきっかけに聞き始め、パーソナリティを理由に聞き続ける」と言った。これが真である程度は個体差があるだろうけれど、少なくとも Casey の武器は being very nice な personality だと思う。


プログラマ中心の視点で見ると、Casey は personality で金を稼ぐ芸人プログラマである。その事実はまったく隠されていない。自分もそんな Casey を敬愛している。

冒頭で stereotype として描いたようなインターネット芸人プログラマを自分が嫌いなのは、一つには単にそのステレオタイプが自分の好みでないからだった。けれど芸人プログラマにはもっと他のありようがあった。

もう一つ、自分はコミュニティにおけるプログラマのあり方に狭量だったとも思う。もっといえば、インターネットでのアテンションはプログラマの実力に応じて分配されるべきであり、芸人プログラマはその取り分を掠め取っているように感じられた。けれど自分のボンクラぶりがはっきりした今にしてみると、これは随分と息苦しい意見に思える。

関心と実力は特に紐付いている必要はない。関心を欲している人がそれを持っていけば良い。関心の払い手であるコミュニティがそういう態度でいる方が、関心を集めたい芸人やメディアが実力詐称の誘惑に負けずに済む。コミュニティは単に芸人としてのスキルとプログラマとしてのスキルを混同しなければよい。それは今の時代ならできるのではないかな。

実力がないならないなりに居場所のあるコミュニティの方がボンクラには居心地が良いから、そんな多様性を応援できるよう自分に染み付いたドラコニアン的態度は改めていきたい。


そんなことを考えるのは、自分はプログラマとしての実力より芸の力にキャリアを助けられてしまったと感じているからでもある。いちおう今の勤務先に入るときは面接を通過しているし、今の職場で芸を頼ったことはない(頼りにならない)けれども、職業人生全体でみると芸に頼った瞬間はあった気がする。

Attention trading が現代のスキルポートフォリオの一部なのは事実だけれども、そこには dark pattern や growth hack 的後ろ暗さがあり、居心地はよくない。そういう自覚に至ってからは芸人的行動をする際には transparency のためボンクラ性を強調するようにしている。板についたハッタリ感が滲み出してしまうときもあるけど・・・。

まともなプログラマが Kaggle とか GitHub で修行しているのを片目に可処分時間をぜんぶ podcast につっこんでいる身として、自分はもはや芸人として生きていく方がいいのではと思うこともある。でもまあ、仕事がぱっとしないマイクロセレブワナビーにありがちな現実逃避のファンタジーだね。Podcast をやるのは自分の芸人性向が満たされて楽しいけれど、Casey と違い自分の番組が生活費を払ってくれる可能性は微塵もない。多少ボンクラでもプログラマを続ける方が、どう考えても実入りは良い。これは自分が運と成り行きで恵まれた待遇のプログラマとして働けているからでもあろう。

インターネット芸人プログラマの受容と、自分が芸人になれるかどうかとは無関係。やっぱ Podcast とかやって遊んでないでちゃんとプログラマとしてキャリアを前にすすめることを考えないとなあ。