手段の為替レート

Getting Things Done であるためには手段を選ぶべきでない、プログラマはなんでもテクノロジで解決しようとするが交渉などで解決した方が良い問題もある、みたいな主張を昔たまに耳にした。今でもそういうことを言う人はいるかもしれない。

これは言い換えると、問題を解決するためのコストを最小化しろという主張だと理解している。ここで主張自体に異論を唱える気はないが、当事者のコストを理解してないなとも思う。

たとえば何らかのインテグレーションを片付けたいとする。インテグレート先に望ましい API が足りていない。コードによる解決策は、たとえば足りない機能を自分で実装する、かもしれない。この作業には 10 コード$かかるとする。 交渉による解決は、たとえばインテグレート先のチームにお願いして API にフラグを足してもらう、かもしれない。この作業には 2 交渉$かかるとする。

「コード$」および「交渉$」は仮想のコスト通貨である。ここでいうコストは所要時間かもしれないし emotional burden かもしれない。交渉の方が速いと考える人は 10コード$ > 2交渉$ と考えているが、これは交渉が得意な人の為替感である。そのひとにとっては、たとえば 1コード$ == 1交渉$ である。一方あるプログラマ、仮に森田と呼んでおく、にとっては 10コード$ = 1交渉$ である。別の言い方をすれば 1 森田$ = 1 コード$ = 0.1 交渉$ である、かもしれない。

コスト通貨の為替レートは個人差が大きい。個人は自分の為替レートに基づいて判断を下す。相手に自分の為替レートを押し付けることはできない。

チームワーク

反論はいくつかありうる。たとえばチームワークという点でコードは高く付くかもしれない。後の保守コストを考えると 1 チーム$ = 2 コード$ = 0.5 交渉$ くらいかもしれない。すると先のインテグレーションはコードを書けば 5 チーム$,  交渉なら 4 チーム$ で片付く。交渉したほうが安い。

頼まれる側からするとチームのために自分の苦手なことをやれという依頼には Principal–agent problem がある。真面目な会社員たるものべつにチートとかはしないけれど、やる気は起きない。もう一つの問題は、チーム総体の能力を判断するのは難しいことなので、そのunreliable judgement に基づいてなされる話には説得力がない。

もっと有り体に言うと、交渉仕事はそういうのが得意な人に頼んでくれやと思う。人手が足りないのはわかるのである程度は協力するけどさ。

スキルポートフォリオ

人手の足りなさに連なる別の主張として、交渉も得意になった方が仕事の幅が広がるし問題解決能力も高まるよ、という反論もある。この主張の正しさはケースバイケースだし、バランスでもある。

交渉、に限らず自分の得意なこと以外が極端に苦手というのは、要するに問題解決の手札が少ないということで、そこには不利がある。仕事にかぎらずなんらかの達成が求められている世界では、原則として達成を重ねるほど評価され、立場がよくなる。結果としてやりたいことがやりやすくなる。なので手札を増やして達成のスループットを増やすのには意味がある。

要するにスキル・アップしてキャリア・アップしましょうね、という話。

一方で、目の前の問題解決に求められているスキルと自分のキャリアに必要だと自分が感じているスキルが一致しないこともよくある。交渉上手になれっていうけど別にそういう組織横断的な仕事をやりたいわけじゃないんで・・・みたいな。目の前の問題解決に最適化した結果マネージャになる事例はよく観測される。それを望んでいるケースもあるので必ずしも悪い話ではないが、それを特段望んでいない身に交渉がんばる気などはない。

そうはいっても、自分のやりたいことと世間の需要が乖離すると金を稼ぐのは難しくなる。そして目の前の問題は、世間の需要を何らかの形で近似している。目の前の仕事の求めを自分の思惑と違うからを退ける不安は強い。

けれどけれど、真の意味で世の中の需要を突き詰めるならプログラマとかやってないで Wall Street の trader なり外資系 consultant なりになった方がよいのでは?プログラマたるもの Knuth 目指して山に籠もって Deep Work でしょう?

これは極論だけれど、スキルポートフォリオを根拠に交渉 $ の強化を求める上司の望みもまたノイズ溢れる市場からのシグナルに過ぎない。そんな視座は失わないほうが良いと思う。目先の仕事が超稼げるので上司の願いを叶えるのは重要、というケースもありうるが・・・(ドラマの中の Wall Street や Hollywood にみられるステレオタイプ。)

などこれといってはっきりした指針があるわけでもないので、問題解決の手段は人の話は聞きつつも最後は自分の胸に聞いて決めましょうという話。