Fear of Vacation

帰省で二週間近い休暇をとったその三ヶ月後くらい、また二週間の休みをとって親戚に合うためスイス旅行。年の前半ですでに一ヶ月の休暇をとることになる。いざ予定を決めてみると胃が痛い。

有給は足りているので制度的な問題はまったくない。金がかかるのはやや厳しいが、それは事前にわかっていた。

一方で一ヶ月休むと仕事は一ヶ月分遅れる。締め切りは変わらないので、自分の仕事の成果はフルで働いた場合に比べ 1/12 減る。実際にはリリース後の 3-4 ヶ月くらいというのはなんだかよくわからない間に過ぎてしまうので、成果の減少は 1/9 から 1/8 すなわち 15% くらい。この影響をよく考えていなかった。今の評価を給料が下がらないギリギリラインだと思っている自分としては、成果が減ってまた評価減および減俸が近づくことに恐怖がある。

成果主義が機能している(と従業員である自分に感じさせている)という意味で、これは組織の意図が働いている証左といえる。それはおそらく良いことである。会社にきてりゃ成果はどうでもいい世界と比べラクではないが、組織の長期的な存続への期待値は高まる。

一方、リリース後の三ヶ月がなんとなく失われてしまうという性質、もっといえば重要なリリースが年に一回で、しかも動かせない事実は休暇の取りやすさを損ねており、こいつはなにかと本当に恨めしい。締め切りがキツくて休めないとかブラック企業じゃん。(休むわけだが。)一ヶ月休んだら純粋に仕事が一ヶ月遅れるだけ、すなわち自分のやっている機能の出荷なりインフラの改善が一ヶ月ズレるだけならどれだけ気がラクがわからない。

これはフェアな苦情ではない。年次リリースのある組織では、本来はリリース後のなんとなく過ぎてしまう三ヶ月くらいの間に休暇をとることが期待されている。実際、どのどうでもいい期間がクリスマス/正月に重なるよう日取りが決められている。一方で、自分の旅行は人間関係的な都合からしかるべき時期にいかねばならず、それはクリスマスではない。これを不運とみるとか組織の不条理と見るか。

まあ不運と思っておくほうがヘイトが溜まらないというものだな。来年からは年末年始に休み取りたい。が、一方で冬の日本に帰省するとか寒いしインフルは怖いしでまったくやりたくない。こんなところに思わぬ外国人税。

年次リリースのある組織でも、実績のあるベテランは容赦なく夏に休暇をとったりする。実績ゆえ、ちょっと休んだくらいで自分の評価が揺るがないことを知っているからだ。別の言い方をすれば、こうしたベテランたちは成果が評定に反映されていない(振り切っている)。これはダメなんじゃないか。

・・・これは言いがかりだな。制度に定められた休暇をとると給料が下がりそうと感じてる自分の身の上の方が問題な気がする。

ベテランたちに羨ましさと一抹の苛立ちを感じてしまうこの状態は、一歩さがると結局は年次リリースの歪みなのだろう。この歪みは受け入れなければいけないと言い聞かせ続けているのだけれど、一旦シームレスなリリースの世界で暮らしてしまうとなかなか締め切りのある世界に戻れない。

家族の期待値がシームレス側にとどまっているのがなお辛い。長期休暇の取得とは不自由なものという暗黙の合意があれば気はラクだろう。ただそれが人として望ましい状態なのかはわからないな。というか、有給とったら給料さがりそうという心理的安全ゼロな状態が望ましいはずがない。ただその出処を組織に問うのか自分の覚悟の無さに問うのか、というか組織に問うても仕方ないので自分には締め切り厳しい世界で働く覚悟が足りてない、ということなのだろうなあ。しかしそんな覚悟なんてないにきまってんじゃんよ・・・。

まあしかし休むのである。評定および給料がさがりませんように。

追記

これは若干 exaggeration で、去年は病欠で有給を使えなかった + 今年はなんかしらんがいつもより仕事が忙しい、の組み合わせによるプレッシャーな気がする。この忙しさが永続化しないことを祈るばかり。