Sentiment Amplifier
このあいだ久しぶりに社内ソーシャルメディアを眺めたらあまりに空気が悪くてびっくりしてしまった。(普段はブロックしている。)
自分が勤務先に持つ悪印象への貢献度は: 社内ソーシャルメディア > 世間の報道 > 普段の仕事。普段の仕事で不満を抱くことはないでもないとはいえ、社内ソーシャルメディアに渦巻く negativity と比べたら足元にも及ばない。遠い昔は仕事が退屈な時期に社内ソーシャルメディアから euphoria を補っていた淡い記憶があるが、どうやってそんなことが可能だったのか今となっては思い出せない。
今の勤務先は総体としては downturn に入っており、テック産業の歴史を鑑みるとそのまま朽ちていくと考えるのが一番妥当。楽観的にいってもどっかで下げ止まるくらいがせいぜいで、大復活みたいのは考えにくい。そうした世代交代は産業全体からみると健全なことであろう。自分が収入の stability を欲している時期にそれが起きてるのは個人的にはすごく困ったことだし大復活してほしいけれども。
5 年くらい前はそういう空気を読み取った人がザザザーっとスタートアップや近隣の景気良さそうな会社 (FB とか) に流れていたように見えたが、最近は謎の給与格差および巨大スタートアップ群の停滞感、競合他社がおなじくらいぱっとしない問題などから行く先を失って滞り、社内メディアでガス抜きをしているのかもしれない。 社員が高齢化した面もあろう。自分がまさにそうだし。
成長の鈍った企業で社員の不満が渦巻きがちなのは仕方ないのかもしれないが、社内ソーシャルメディアは空気の悪さを増幅している気がする。会社の先行きの不透明さ以前に、この空気の悪さが嫌でやめる人も結構いるんじゃないか。それは(「言論の自由」みたいなものが後押しするはずだった)組織の resillience を損ねている気がする。
まあ Twitter がそうであるようにソーシャルメディアはコミュニティのろくでもなさの投影にすぎず、まともな社員は社内ソーシャルメディアで管巻いたりせず淡々と仕事をしていると信じつつ自分もそう行動して生きたい所存。
一歩さがって、なぜ言論であるはずの社内ソーシャルメディアが組織の resillience に寄与していないと感じるのかを考えてみる。たぶん必要とされている言論はソーシャルメディアではなくジャーナリズムなのだろうな。しかし残念ながら社内ジャーナリズムというものは存在せず、NYTimes や Bloomberg のような世間のジャーナリズムに依存している。この非対称性(?) が社内の言論をろくでもなく感じる理由だろう。
社内ジャーナリズムというのは存在しうるのだろうか。たとえば Microsoft の景気減速がひと目を引いていた 2000 年代, Mini-Microsoft という匿名 MS 社員のブログが一部で注目を集めていた。これはまあまあいい線行ってたんじゃないかな。空気の悪さはかなりのものだが、当時は筋が通っているように感じた。(今読み直したらただのゴミに感じるかもしれないが。)
ただこういう本気の批評は存在しにくいよね。書き手の動機がなぞすぎる。
社内のソーシャルメディアにも単体ではよく書けた言説はぼちぼちある。ただ編集の役割を果たすものがないせいで、ストリームに消化されて終わるのだろうなあ。だれか愛社精神あふれる暇人がそうした声をきちんとまとめてアーカイブしていけば、それは社内ジャーナリズムの萌芽となろう。芽が出る前にクビになりそうだけど。
追記
この日はどこかの新聞に空気を悪くする報道があり特別荒れていたとあとから知った。