Moving Target

また時間のなさについて考えている。というのは週末の leave alone 枠を数週続けて撮り損ねた上、今週(いま)も半分くらいになってしまってかなり frustration の水準が高まっているため。

時間がない、という事実はあるわけだが、可処分時間が単調減少しているのかというと、ゆるやかには単調減少であるにせよこのゼロになってるんじゃね、という体感が正しいとも思えない。何が起きているのか。日常の fluctuation が以前より大きいのだろう。つまり波が合って不規則である。

たとえば週末の leave alone 枠にしても日曜の 10 時から、とか決めてあるわけだが外出の予定のとかに上書きされ予定通りにことが進むことは少ない。食事の時間とかも子供の昼寝などに合わせて微調整されるので、この 10 時という予定を決めた前提もすぐに崩れてしまう。気がつくと時間は失われている。週末は特にその傾向が強い。というのは外出のタイミングは必ずしも自分たちだけでコントロールできるものではないから。

この不規則さとどう折り合いをつけるか。一つは少し無理をしてでも不規則さの影響が比較的少ないタイミングに予定をつっこむ。たとえば早朝とか。たとえばこのスタバは  5:30 から開いているらしいので、眠気をこらえて 5 時に起きて駆けつけ、5:30 時から 8 時くらいまで確保する、というのはどうか。なんとなく自分の規則正しさの限界を超えてしまっている気もするけれども・・・。あと週末に限っては深夜帯を利用する路線もありうる。田舎なのでコーヒー屋とか一切空いてないという問題はあるが・・・。そして年寄りなので深夜は早朝より辛いね。だめか。

直行する論点として、不規則に生まれた時間をどう取りこぼさないかを考える必要もある。不規則であるということは(長期的には)失われた時間がどこかで帰ってきているはずなので、それを逃さず捉える必要がある。

たとえば、最近は朝の時間は完全に失われた一方でゆこっぷ(おくさん)が子と co-sleep するようになったため夜の時間が増えた。夜は朝より疲れているので朝やっていたように気合をいれて難しい教科書を読み続けるのは難しいが、それでも podcast 準備の論文を読むくらいはできる。

ただこの夜の時間は自分のリズムに完全に組み込まれておらず、いまいち活かしきれてない。なんとなくだらだらネットをみて夜が更けてしまって後悔することが多い。

こういう不規則な時間をキャッチしてなんかやるのは、子供ができてからずっと考えているけれど今のところ機能してない。MSR のひとが Microproductivity という研究をしていてこれは問題意識としてちょっと違いきもするのだが、なにしろ research なのでなにか使えるものがあるわけでないのだった。ただこう iterative かつ incremental になんか書く、というのは以前からできてらいいと思っているので、もうちょっと追求しても良い話題なのかもしれない。ゼロ秒思考とか、切り口は悪くないと思うんだけど蒸留するフェーズが弱いよね・・・って前も書いたな

自分は文章を書く時は基本的に一撃でズバっと書く傾向があり、逆に書きかけで止まると書き上がることはないのだけれど、もうちょっと iterative に書き、アイデアを整理していく方法を考えた方が良いのだろうなあ。むー・・・。保留。

まあまずは早起きですかね。きびしい・・・