贅沢してる

家計簿や予算を真面目につけ始めて思うこと: 自分たちは特に慎ましい暮らしはしてない。それなりに贅沢してる。

共働きでもないのに子供を daycare にいれている。それなりの頻繁でガジェットを買っている(自分が)。子供部屋のため 1BR でなく 2BR のアパートに住んでいる。そのアパートは勤務先から近い。毎年海外旅行(日本)をしている上に、来年は親戚の住むスイスに行きたいね、とか言ってる。引っ越してきたときに買ったクルマは新車である。自分は細々したインターネットサービス群に金を払っている、など。

こうした意思決定は(ガジェットとスイス旅行を別にすると)自分の中では正当化されているが、正当化したところで安くなるわけではない。そしてこうした出費によって生活費を base salary 内に収めるという目標が遠のいている。

自分たちはあまり外食をせず、クルマを二台持つこともせず、ケーブルテレビも契約せず、衣類宝飾品もさして買わず、家も買わず、Whole Foods にも通わず、庶民的な倹約チップスに出て来るような無駄遣いの類は割とクリアしているが、一方で上に挙げたような、ほんとにカネがない家ならまずやらないような出費をしている。(Expense-conscious な家庭が毎年海外旅行をするだろうか?)

一方で職住近接も daycare も 2BR も帰省も自分たちの QoL 向上には大きく寄与しているので、節約のためにやめてしまえばいいとも思えない。羽振りの良さの恩恵として有難く浴しておきたい。

この平和な日々が景気の力だという事実は俄には受け入れ難いけれども、それはひとつには付き合いのある人々の多くがおなじくらい(あるいはより一層)羽振りが良いせいで、無意識のうちに QoL standard が釣り上げられてしまっているのだろうね。身の回りの人の羽振りが良いのは悪いことではないし避けても仕方ないから、こまめに家計簿という現実を睨むことで認知の歪みを正していこう。

あとは外国人としてのプレミアはある。たとえば日本旅行はもっぱら親に孫の顔を見せるためであり特段面白味はないが、中米のリゾートでバケーションするよりよほどカネがかかる。友人や血縁者のサポートが得られないがゆえに daycare のありがたみが増す、US 市場のメインストリームと価値基準がずれている、というように。

まあ家計簿のおかげで不景気突入に際してすべきことがはっきりしてきたのはよかった。それがどのくらい uncomfortable かはやってみないとわからないが、まだわからなくていいです。