締め切りの力

Podcast を一ヶ月おやすみしている間にやりたいことがあったが、結局ほぼ何もできないまま一ヶ月がおわった。これは子供の就寝起床時間に adversary な変化があったせいでもあるけれど、どちらかというと自分の生活にはもともと時間がないという話なのだと思う。たとえば budgeting にしても vacationing にしてもやらねばと思いつつ podcast の編集や paper reading を優先して放置していたものなわけで、そういう生活のツケを払うと自分のために使える時間はあまりない。

逆にいうと自分の extra-curricular に時間を使うためには家庭や仕事を犠牲にするしかない。自分は仕事の側はこれ以上犠牲にできないと思っているので、結果として家庭が犠牲になる、が、一方でいま家庭を犠牲にしていいのかあまり自明でない、というかよくない。なので順当にいくと extra-curricular が犠牲になる。ただ extra-curricular は自分の将来への架け橋でもあるので (Podcast がその立場を deserve するのかはさておき) なくしてよいというものでもない。これが永遠に解決しない frustration なのはわかっているのでいいとして、そもそも Podcast よくできてんな、という気になる。

これは締切の力だよなと思う。締切があると、長期的な視座とかはさておき優先度を上げたくなる。家族にもわりかし理解される(気がする)。理解を得やすいと感じるのは、たぶん我々現代人が締切という概念にすごく飼い慣らされているから、というのと、締切前の忙しさは一過性のものに感じるからだろう。逆にいうと毎週つづく締切が永遠にあるのは締切の ephemeral な性質を損ねてよくない。

締切に振り回されるのは一般的には良くないことに思えるが、自分の振る舞いを変えるために人為的な締切をセットするのはアリな気がする。

締切だったらなんでもよい、とも思えない。たとえば「期日までにある本を読み切る」という締切は相対的に理解を得にくい気がする。誰かからの期待, commitment がある方がよい。たとえば Podcast には聞いている人や co-host がいる。過去にうまく行った他の例だと、Coursera の宿題締切。別に公的な性格はないが、外部から与えられているのがよい。あと失敗すると落第してしまう、というペナルティの存在も意味があるかもしれない。読書の締切、間に合わなくてもなにも起きないからね。

読書の締切についても家族と約束すればそれなりに機能するのかもしれない。締切をすぎたら家のことに優先度を戻すと決めれば、締切までに読みきらないと続きを読めないペナルティが生まれるから・・・でもどうかな。

個人的には人工的に決めた締切に追われて暮らすのはあまりに silly に思えてやる気が出ない。Podcast の締切みたいにある種の期待を伴うほうが腑には落ちやすい。Podcast 休止中になんかやる、という締切は機能しなかった。自分のやりたいことに意味のある締切を作るのはライフハック的スキルと言えよう。


書籍の Acknowledgement section で家族に感謝する著者は多い。昔はなぜ感謝しているのかまったく理解できなかった。でもきっと執筆中に家族への duty を多かれ少なかれさぼったのを見逃してくれてありがとう、ということなのだろう。書籍も締め切りの力が使えるプロジェクトだな。