Assumption
Boundaries を書いて思い出したこと。
勤務先、自分が入社してから社員数がおよそ 3 倍くらいになっている。いま入ってくる人は自分が感じた以上に大企業の圧力を感じているだろう。たとえば自由度の低さとか。
自分は、この会社は割と自分でやると決めたことをやることができる、というか自分でやることを決めた方がよいと思っている。自分で決めないとマネージャとかが適当に仕事を持ってきてくれるのですごく困りはしないけれど、自分の好みや価値観はマネージャより自分の方がよく知っているはず。
ただ一方でやることに制限がないわけではない。適度に空気を読まないといけない。一方で、空気を読みすぎると自分を縛ってしまう。組織の巨大化にあわせ、空気はどうしても硬いものになっていくから。
比較的自由だった時代、あるいは比較的自由度の高いチームの空気を覚えていると、少しくらいまわりが堅苦しくなっても昔のように振る舞うことができる。多くの場合それで特に問題ない。でもいま入ってくる人たちは空気の味を知らないから、必要以上に自分を縛ってしまうように見える。ちょっともったいない。近隣大企業を渡り歩いてきた人なんかは勝手にやる空気のバリエーションを他所で身につけてくることもあるけれど、新卒とかはどうかな。
一方、自分より前からいる人はより一層自由の濃い空気を体験しており、より一層自律的に振る舞っているようにみえる。個人差はあるけれど。
自分は仕事を選べない受託開発の世界からやってきたため、やることを自分できめる空気に馴染むことがなかなかできなかった。そのせいで自由な時代、自由なチームの文化を無駄にしてしまった後悔がある。その反動で今はなるべく自分で仕事を決めるようにしており、それはうまくいくこともあれば行かないこともある。今のチームではまだ自分の知識が足りなすぎてうまくいかないことの方が多い。けれど仕事は自分で考える方が良い。自分はそう価値観を形成した。コードはどこまでもズカズカ踏み込んで行く方が良いという価値観と同じように。
こうした価値観の正しさを身をもって示すのがプログラマとしての自分の使命なのだろうとぼんやり思う。いまのとこぜんぜん示せてない。