Fantasy on Foundations
The ChangeLog で CNCF の話を聞いた。CNCF, できたときはどうせ形だけの組織なんでしょと斜めに見ていたら割とまじめにやっており、かつうまくいってるらしい。Google のように control freak ぽい会社が Kubernetes といういかにも戦略的なコードをわざわざ第三者に明け渡す。誰が決めたのか知らないけど、よくやったと思う。
ここで年来のファンタジーが頭をもたげる: Chrome も Chromium Foundation になっていたら良かったのになあ。WebKit Foundation でもいい。そしたら Electron とかもみなそこにあつまったろうに。
そうならなかった理由はわかる。なにも動機がない。彼らには巻き込みたい他人というものが特にいなかったろうし、そもそもウェブには標準というものがあり、そっちで協業してる。それに Chrome を始めた人々はもともと Mozilla というよその foundation が持つコードへパッチを書くのに疲れて自分たちのブラウザをはじめた面もあるだろうから、Foundation したくない動機すらある。オープンソースになっているだけでも感謝しないといけない。
その点 k8s の世界には標準化団体なんてないし、実装も色々なクラウド事業者や上のレイヤのアプリなどを巻き込んでいきたいだろうから CNCF のようなものが必要になる…と理解している。
しかしそもそも他人を巻き込みたい気になったのは AWS という支配的プロプリエタリなクラウドがあるからだろう。つまり k8s のオープンさは Amazon のおかげといえる。Jeff Bezos には足を向けて寝られない…というか competition てすばらしい、という話だね。
自分は数ある社内のオープンソースな仕事を全部無視しプロプリエタリなコードで日銭を稼ぐ身分。Foundation がどうとか言える倫理的な足場が微塵もない。自分にとって重要だと思っていた職業的オープンソースが単なるタナボタでしかなかった事実は、情けなく悲しい。この話は白昼夢あるいは白痴の夢でしかない。