The Double Twist
典型的な西海岸 tech people は概ねリベラル(left)だが、一つ例外があると言われている。それは regulation に対する態度である。つまり innovation を推し進めるには regulation はない方が良いという態度。実際インターネット上のサービスというは概して regulation がゆるい世界で運営されていて、そのおかげで無茶が出来た面はあると思う。
おかげでいざ internet services には何らかの regulation が必要という世論が高まった時、基本的にお友達がみな左寄りなせいでいまいち擁護してもらえない。つまり、いやいやそんなことしたら innovation がとまっちゃうでしょもっと market dynamics を信じてあげようよ、などと助け舟を出してくれる人がいない。なぜならそういう考えの人は普段 tech liberals を敵視している right な人々だから。
そんな目で見る Net Neutrality の議論はすごいねじれていて面白い。Net Neutrality の法案というのは要するに regulation である。Regulation はよくないという tech people がなぜか Net Neutrality についてだけは regulation の肩を持っている。(なお Net Neutrality という語を発明したとされる Tim Wu は、最新の著作である The Attention Merchant を読むかぎり tech companies に対する regulation には前向きだと思う。そして逆に tech pundits の中にも repeal された net neutrality regulation に反対する人もいる。なので自分のこの議論は割と雑な話ではある。)
Liberal but Anti-Regulation but Pro-Net Neutrality という stereotypical な tech people view は、そんなかんじで割とねじれている。まあ liberals が全ての regulation の肩を持つ必要もなければ conservatives が全ての regulation に楯突く言われもないので別にねじれているから悪いということはないのだけれど、power dynamics という点では不利に思える。
Tim Wu にせよ Ajit Pai にせよ、こうした舵取りや運動を先導する人々はそれなりに一貫した洞察や意見を持っていると思う。だからそれほどねじれてはいない。一方で上に書いたような stereotypical techie 的なねじれた態度はどうして生まれるのだろうか。そんな tech mob の一人として考えてみると... 究極的には自分たちに都合の悪いものはイヤということなのだろうなあ。そして Comcast や AT&T のような "土管屋" は「自分たち」にカウントしていない。これはこれで一つの態度だとは思うけれど、そんな tribalism に従っていてたらスタート地点の異なる人々と合意に至ることはない気がする。
自分は根が communist なので、一貫性という点から tech companies も net neutrality も何らかの形で規制されるべきなのだろうなと思っている。しょうじき政府が tech companies を妥当な形で規制できるとはまったく思わないし、その結果 innovation はいくらか(もしかしたらたくさん)損なわれてしまうだろう。勤務先も傾くかもしれない。でもそれが自分と概ねの意見を共にする人々すなわち liberals が望むことなら仕方ないのではないか。なんにしろただ regulation するなと跳ねつけるのではなく, こんな regulation ならアリみたいな議論をする方が現実的に思える。
規制するなと表立って叫ぶ tech companies (BigCo.) の representative というのはさすがにあまり目にしない。みっともないし説得力もないとわかっているのだろう。
ベイエリアに住むイノベーションや独立自治大好き系の人々の中には、キリスト教を信じておらず銃も持ってない以外はだいたい conservative みたいな人は案外多い印象がある。というかよその国から来たらキリスト教なんて信じてないだろうし銃に思い入れもない、一方でたとえば日本土着の communism はうっとおしくて嫌い、みたいな人っていそうじゃん?これはすごく Silicon Valley ぽい思想だと思う一方、左右断絶しまくりな昨今のアメリカではなかなか孤立無縁な谷間の住人という感じもする。そのくらいで挫けるような人々ではないのだろうけれど。