A Sense of Ending Career

今年の後半は家事育児の負担が増し、ほとんど何も出来ないままだった。時間の無さの内訳を書いても詮ないので詳細は省くけれど、今年の4月頃にも時間がないとか書いているのに輪をかけて何もできていない。

この状態が続くと、そして順当にいくなら最低数年は続くだろうが、プログラマとしての自分は終わると思う。正直なところ今の会社に入ったあと自分が以前より良いプログラマになったとは思わない(し、それは実績に反映されている)が、それでも時代への適応は一定程度してきたと思う。このままだとそれも終わり、やがて使えない年寄りになる。

多くの女性が結婚や出産を機にフルタイムの仕事を諦めることを考えると、これは自然な帰結に思える。共働きというのは、仕事への諦めを二人で折衷するということだから - つまりフルタイム労働はやめないけれど、そこから前に進むことも出来ない。折衷といっても奥さんは二時間労働時間を縮めているので自分の方がまだ多く働いている。フェアな分担でもない。

自分の主要な不安は、夫婦間の wage gap がありすぎるせいで職業的コミットメント低下に伴い自分の job security が下がる割に二重収入による financial security を得られないこと。つまり共働きは家庭の稼ぎを不安定にしていると感じてしまう。

この言い分はだいぶ横柄だし、 wage gap に文句を言うのは明らかに筋を違えている。それに自分で稼ぐという行為は純粋に金銭的な損得だけでなく個人の independence や dignity にも関わる場合があるので、単純に共働きをやめればいいというものでもない。自分も父親が早死したにもかかわらず母親が公務員だったおかげで無事大学を出られた経験があるため、共働きというか働く母親という概念の正しさには強いバイアスがある。海原雄山みたいな性格だったら葛藤もないのだろうけれど。

金銭的な不安定さへの不安とキャリアを追求できない不満を自分は分離できない。なのでこの金銭的な不安は単に自分の願望に言い訳を与えているだけではないかという思いがある。仮に自分がプログラマとしてのキャリアに集中できたところで、本当に金銭的な安定は増すのか? 自分の career investor としての実績をみるに多くは期待できない。

金銭と職業的コミットメントを関連付けられないのは、自分の今の収入がほぼ運頼みだと思っているからだろう。たとえば今この瞬間に会社をやめて、同じだけの収入が得られるだろうか。特に今のように nine-to-five の勤務で。まあ無理だわ。半分くらいがいいとこ。そして職業的コミットメントによって運と実力の溝を埋め切れる気がしない。かつて運が巡ってきた時にそれを掴みとるくらいの能力を持っていた点については我ながらよくやったと思うけれど、そのあとが続かなかったね。

収入との連動を約束できない自分の職業的コミットメント(つまり家をほっといて仕事したいというわがまま)のために、働く女性という個人の dignity/identity/ideology を犠牲にしろとは言えない。そうした犠牲を強いず済むのは社会の進歩のおかげでもあるし、運のおかげでもある。まあ自分のわがままをさしおけばいい話じゃないの。

この運もやがて尽きるだろう。その時にどうすればいいか。わからない。願わくばそれまでに一定程度の資産ができて、CoL の高い西海岸を撤収し日本で地味に働きながらほそぼそ暮らせば困らないくらいになっていたらいいなと思っている。あまりかっこいい話ではないけれど、運を頼りに理念を優先する人生の対価としては妥当なき気がする。


いちおう補足しておくと、これは自分個人の話であって何ら一般論ではない。共働きを勧めているわけでも、子持ち共働きが誰にとってもキャリアの終わりだと言いいたいわけでもない。職業的コミットメントと金銭的コミットメントを一致させ家族を養っている人もいるし、共働きをしながら良いプログラマでありつづける人もいる。自分がそうなっていないのは、個人としての価値観と能力と巡り合わせの帰結でしかない。要するに意固地で無能という話。仕方ない。

もうひとつ、自分はキャリアの終わりを予感しているし現状の収入は運だと思っているけれども、キャリアを終わらせたいとも運以外がまったく頼れないとも思っていない。家事育児の負担を金の力などで解決する方法は考えたり試したりしているし、役に立たない趣味はとっくに捨て、少しでも前に進むことができないかいつも考えている。ただ世の中には競争があるので、9時5時で帰って家事して飯食って寝てる人がガツガツ働いて帰ってからもコード書いたり読んだり勉強したりしてる人に勝てないのはなんというか、あたりまえじゃん?

この文章は愚痴だけれども、自分が総体として不幸だとは特に思ってない。日常は平和で、肉体的に追い詰められてもいない。仕事も嫌いではない。眠い、辛い、金がない、もう死ぬ、みたいなワーキングプア的苦しみには面していない。キャリアを追求できないだなんて、所詮は贅沢な悩みだとはおもう。