2015/02/04: 謙虚なリーダーシップ

数年前に二泊三日のリーダーシップ研修みたいのを受けた。上司の指令により送り込まれた。そのトレーニングは一部の社内ボランティアが始めたもので、評判がよかったのと運営してる人の熱意などにより全社的なエンジニア向けプログラムに格上げされていた。教えるのは普段はエンジニアしてる人たち。各種アクティビティを通じリーダーシップを学びましょう、みたいな内容。講義:グループワーク が 2:8 くらい。

US, ヨーロッパ, アジアで開催があり、僕は東京で開かれたアジア枠に参加した。参加者は中国、韓国、インド、オーストラリアから。転勤で海外勤めしているアメリカ人やヨーロピアンも結構まじってる。

主たるメッセージは、自分の主張ばっかりしてないで一歩下がって話を聞き議論をまとめ合意を引き出す工夫をしましょうね、というもの。最初のグループワークは参加者数十人が全員でやる大人数作業。参加者が意思統一し足並みを揃えて動かないと達成できないようデザインされている。

この最初の作業が、おもしろいくらい上手くいかなくて衝撃だった。どいつもこいつも見事に自分の意見を貫こうを声を荒げ、話を仲裁しようとする人も複数あらわれてやはり声を荒げ、ワーワーいってるうちに時間切れ。すげえ。ちなみに研修の最後にも同じ作業をやる。今度は学んだことを生かしてうまくやる、というわけだ。

研修はそのあと 5-6 人のチームにわかれ、チーム単位で色々なグループワークをやる。合意を見出す以外にも役割分担をするだとか、他のチームとうまくコミュニケーションするだとか、正確にメッセージを伝えるだとか、チームワークが機能しないと失敗するアクティビティをこなしてはああチームワーク大事だねと納得する。そんな構成。けっこうよくデザインされてる。

でも同時に、これ日本人だけの集団でやったら最初の作業から上手くできちゃうなあ。とも思った。多数派が自己主張しないじゃん。少数の声の大きい人が適当に仕切って進んで終わりな気がする。そういう引っ込み思案は韓国も似た感じらしい。中国人とインド人は個人差があった。研修の主催者もそれを鑑み、アジア開催の時は文化的差異や言語バリアをそれなりに考慮して教えているのだそうな。(そういう様子はあった。)

僕はチーム作業でシドニーから来たシニアなエンジニアと一緒になり、この人が見事に人の話を聞かず自分のアイデアで突き進む人だった。同じチームには他に中国人と韓国人とインド人。インド人は若干食い下がっていたけど概ね説き伏せられていた。自分はもう面倒なのでハイハイと話をあわせるのみ。なにしろそのシドニー人、ぜんぜん話を引き出す気ナシ。当人は研修の最後に妙に感銘を受け良いトレーニングだったナアとかいってた。ほんまかいな。

リアルな仕事の US 側 TL がこのシドニー人みたいだったら、きっと一方的にこき使われていた。そう思って背筋が寒くなった。自分は運が良かった。この恐怖から、研修のあと1年くらい真面目に英語を勉強したのだった。実は転勤したくて勉強したんじゃないんだぜ・・・。

僕は pre-Google の経験から、リーダーシップというのはなんだかんだで決断したり引っ張って前に進めたりするものだと思っていた。謙虚なリーダーシップについての議論は知っていたけど信じていなかった。でもこうして船頭多く破綻する研修のアクティビティを見たとき、ああ、なるほどこれが一歩下がったリーダーシップの必要性かとすごく腑に落ちたのだった。

実際 Web Components プロジェクトの初期も意見のある JavaScript マニアやオレオレアーキテクト達が自分の考えた最強のデザインみたいのを主張するばかりで話の進まない期間が長かった。非公式なプロジェクトだったため正式な TL もいなかった。まあ形式的な TL の機能する会社じゃないのでいても大差なかったろうが。

結局プロジェクトファウンダの一人であり責任感の強いシニアなエンジニアが適当に話をまとめ、仕様を書き、W3C での議論みたいな面倒を引き取り、しかしデザインの意向はマニアから汲み取り、少しずつ前に進んだのだった。あのマニアどもの一人でも面倒を汲み取る責任感があればそういう役割の分断がなくてもっと色々スムーズに進んだろうに・・・。

そのシニアなエンジニアは特段優れたウェブ標準書きではなかった。でも謙虚なリーダーシップを持っていた。ぎこちないリーダーシップだった。もっとうまくやってほしい、自分はずっとそう思っていたけれど、一方でそれがうまく機能する様も想像できなかった。そのリーダーは、英語力不足で脱落しがちな自分からも意見を汲み取ろうと常に気遣ってくれた。プロジェクトの意思決定が messy すぎてもうやめたいという場面は二回くらいあったけど、彼のおかげで踏みとどまれた。

僕はもともとそのリードがさっさと決断しないのをもどかしく思っていた。でも強い主張をもって荒れ狂う人々をそれとなく収めるのがこの会社のリーダーシップだと理解して以来見直した。そして例の Weinberg の本 が似たようなことを言ってたとぼんやり思い出したのだった。これを読んだのは ACCESS にいた頃。今読んだらまた違う理解がありそう。自分にとってリーダーシップは遠い世界の話になってしまったからさほど関心はないけれど、ぱらぱら眺めてみたい気もする。

一方、トップダウンのバシっとしたリーダーシップがない自分の勤務先は組織としてどんどんグダグダ化が進んでいるようにも見える。実務レベルの謙虚なリーダーシップについては納得しつつ、そのスケーラビリティはまだ信じられていない。