2015/01/26: カルマをためすぎない

カルマはためすぎないほうが良いと思う。

仕事での貸し、面倒でイヤな仕事を片付けた実績。わかりやすい業績じゃなくて、プロジェクトや製品を支える雑用の見返りがカルマ。ビルド壊れ治し、バグのトリアージ、レビューの球拾い、ツールの改善、トロル対応。そういう仕事をすると貯まる目に見えないポイント。組織のインセンティブデザインなんて完璧でない。道徳心や責任感のある人がその不完全を埋める。そしてカルマを貯める。

カルマは貯めるだけでなく使うこともできる。日頃の行いがよければ、たまに無理したり変なことをしても大目に見てもらえる。そういう形でためたカルマを消化できる。自分は一時期クラッシュバグを直しまくってカルマをためていたため HTML Imports の出荷でやや無理にブランチに変更をねじこんでも見逃してもらえた(気がする)。

そんなカルマだけれど、あまりためすぎない方がいい。

まずカルマは曖昧なものなので、どのくらいたまっているかわからない。貯めこんでガバっと使おうとすると手持ちのカルマ分を超えて使い込んでしまうことがある。やりすぎてしまう。様子をみながらちょいちょい使うほうが無難。

カルマは風化しやすい。利息がついたりせず、むしろ成果が地味なだけに忘れられがち。カルマ獲得直後なら「あの面倒な仕事をしてくれた人」と思ってもらえたのが、時間がたつと、そして人の入れ替わりが進むと「なにしてるのかわからない人」へと格下げされてしまう。カルマは新鮮さが命。

カルマは積もった鬱積の影かもしれない。溜め込むのは体に良くない。そしてたまらず一度に吐き出したカルマを組織が受け取れるとは限らない。組織のカルマ受け入れバッファには上限がある。他にカルマ消費中の人がいるとき、二人目には待ってほしいかもしれない。カルマは産休やサバティカルのように制度化されたものじゃないから使い手の立場は弱め。

こうした理由から、カルマは溜め込まず隙を見つけてチマチマ使っておくといい。けれど責任感がある人はえてしてカルマを溜め込みがちに見える。貧乏クジばかり引かされた末に嫌気が差し燃え尽き、よくわからないプロジェクトをはじめたまま帰ってこなかったり、辞めてしまったりする。早めにカルマを取り崩して息抜きすればよかったのにと悲しくなる。

カルマを使えると思い至らない人がいる。一方でカルマ使いがうまい人もいる。基本的に面倒見がいいんだけど、たまに姿を消して変なツールやら謎のプロジェクトやらで遊んでいる。そして気が付くと本業に戻っている。頼りにされているとわかっており、カルマ消化中もカルマ獲得活動を完全には絶やさない。

カルマのため方がうまい人もいる。雑用に名前をつけ、成果を数値化したりイニシアティブを立てたりして目立たせる。本業に格上げし、成果にカウントされるよう工夫する。アピールには意味がある。人々は地味な仕事には気づきにくいし、気づいてもすぐ忘れてしまうから。管理職がそれをうまく計らってくれればいいけれど、できるなら自分でやっちゃった方が確実。そもそもカルマは組織の弱みから染み出すもの。うまく捉えられれば苦労しない。

雑用のプロジェクト化、昔はなんとなくセコいとおもっていた気もする。でも名乗りを上げ説得力のある動機を示して人々を巻き込むなんてむしろ献身的じゃんね。

Google はチームやプロダクトを助ける働きをした人を表彰する仕組みがあり、たまにノミネートして表彰している。これはカルマを買い取る制度とみなすことができるかもしれない(賞金があるのかは知らないけれど。)20% 制度もカルマ消化の口実に使える。そうやって組織の助けを借りられれるなら、それはそれでいい。

誰もがカルマを溜め込むわけではない。カルマをまったく稼がない選択もありうる。でもそれを勧めるのはどこか悲しい。稼いだら貯めずに使う、くらいのバランスが健康的だと思う。ある種のアサーティブネスかもしんない。