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via 米国大学院に合格するためにやったこと

すごいなこのひと。これがエリートの根性というものか。

アメリカで職業プログラマをやるの、日本の米国資本企業から転勤する自分のようなのが一番ラクで、つぎがビザだしてくれる会社に直接応募する路線、いちばんのハードコアがこの留学だとおもう。特に社会人からの留学はいかにも大変そう。

転勤というある種のショートカットで来る人と留学正面突破の人のスタート地点は必ずしも同じでない。かたや入試というバーをこえ学校で散々鍛えられてから仕事を始める。他方はぶーたら仕事をしてなんとなく来てしまった人。実力に差があるのは当たり前。まあ実際は転勤でやってくる人の中にも優秀な人はたくさんいて、それはそれでエリートだなと思うけれども、転勤は不足をごまかせてしまうのは事実。


インターネットによって可視化された別世界の生態が目に入った時、たまたま米国でプログラマをやるという共通点があるからといってリンク先の人のような根性のあるエリートとボンクラな自分を同じ土俵で比べても詮ない。それでも、こういう人たちが目にするであろうアメリカの情報産業は、自分がみている世界とは違うものなのだろうなあとおもうと少しだけ寂しい。

自分もがんばればそうなれたのだろうか。と問いたい誘惑はあるが、それは自分はがんばればエリートになれたのだろうかと問うようなもので、若干トートロジーっぽい。エリートというのは異常ながんばりを永続的に続けている種族なわけだからね。

自分はがんばれたか。問いへの答えは実績をみればわかる。自分はこのさきどれだけ頑張れるかを問うなら少しは意味があるかもしれない。エリートのようにはいかないけれど、ボンクラのなかではマシな方でありたい。