Occupational Disorder
自分はなにかというとウェブやブラウザを使おうとしたがる。うっかり Chromebook を買ってしまったりする。よくない性癖だなと思う。
でもこれはブラウザの仕事を何年もやった結果でもある。ウェブはレガシーでコンテンツもほとんど時間の無駄・・・とは切り捨てられない心情がある。Deep Work を読んだひげぽんが、自分は無意識に Twitter を使う理由を探していた、というようなことをどこかに書いていた。これも似たようなものではなかろうか。ソーシャルメディアを時間の無駄と切り捨てられない心情。
こうしたある種の attachment や obsession は時に自分たちを苦しめる。職業病とばっさり言うのは容易い。けれどそのこだわりは切り捨ててしまって良いものなのか。Web なりソーシャルメディアなりを仕事にしていた人がその良さを大切にする。それを咎めることはできるのか。
自分はソーシャルメディアは時間の無駄で自分な単なる中毒だと思っているし、明日 Twitter がなくなってもちょっと寂しいくらいだと思う。一方 Web テクノロジは何らかの形で息を吹き返すとも心のどこかで信じている。でもそれは「自分にとって」そうだというだけで、この価値観を一般化したいとは思わない。
自分が深くコミットしたものを通じて何らかの価値観を形成する。その価値観の残滓が自分の現実の邪魔をする。そういう価値観は、たとえ邪魔であっても抱えて生きていく方がまっとうに感じる。それをすっかり忘れてしまうというのは、自分が人生を費やした何かを忘れてしまうのと同じだから。
自分の脳に刻み込まれた反応を自覚し、眉をしかめ、あるいは歯ぎしりし、または苦笑いして、不都合を迂回する。そんな所作に馴染んでいきたい。現実の邪魔が増えていく過程を老化というなら、それは仕方ない。