Price of Being Behind

Kotlin で Android  アプリを書くのは結構たのしい。

Kotlin は Scala ほどではないにせよ十分にモダンなので書く楽しさがあるし、自分の欲しいアプリが自分で作れるのも良い。Web の時代、自分はまともな職業 Web プログラマだったことがなかったせいでウェブアプリを作るのは一苦労だった。Android は一応仕事でやってるのでまあまあラクというか、作業していてそれなりに confidence がある。こういう状態で余暇のコードが書けるのはたのしい。

でも余暇で Android をやることはもうしばらくないだろう。他にやることがある。決めていたことだけれど、今となってはちょっと残念。

仕事での立場が下っ端すぎるせいもあり、今の自分は Android プログラマを名乗るにはだいぶ未熟。でもあと 1-2 年仕事と業務外で Android をみっちりやればまあまあまともな Android プログラマになれると思う。けれども 1-2 年後に良い Android プログラマでいるために他のことを犠牲にできない。時間や体力が十分にあって他と Android の両方を追えればよいのだけれど、それは現実的でない。

だから自分は生半可な能力のまま Android プログラマとしてのキャリアを終えるだろう。仕事でやっている技術に習熟できないのは悲しい。けれど時節柄その技術に深入りできない。自分のスキルセットを周回遅れにした代償。StackOverflow によれば 2016 年の Android 技術者の需要は Cloud と iOS についで三番目の需要過多。モバイル開発者の需要ギャップは今がピーク。この瞬間に良い Android プログラマでいることができたら、色々楽しいこともあったのかもしれない。数年遅かった。ふと higepon が iOS アプリ開発に精を出していた時期を調べてみると 2013 あたり。これがタイムリーってものだな。

もともと自分はモバイルが好きでなかった。今も強い情熱はない。そのせいで出遅れた面もある。それにさほど流行り廃りを気にする方でもなかった。メインストリーム全般に対する漠然とした不信感は今もある。でも周回遅れの年寄り外国人になってしまった今、そんなより好みをする贅沢が許されるようには感じられない。やるべきことにやりたいことが追い出されるのはちょっと悲しい。でも仕方ないね。