Self-Consciousness
せっかく渡米三年たったしなんか書こうと思ったがいまいち書けない。それがなぜかを考える。いい歳なのにまだ自意識過剰なのだろう。
自分はベイエリアなどに住む一部プログラマたちの底抜けな楽観や強気さが苦手だ。この地はプログラマをやるにはたしかに結構いいとこだけど、心配事もある。国をまたぐのは大変な人には大変だから無闇に勧める気になれない。エリートのみなさまにはわからないでしょうけどね・・・などと卑屈な気分が頭をもたげる。
一方でシリコンバレー家賃高くて大変なんでしょ給料も額面だけのハッタリなんでしょ、みたいな斜に構えた声も勤務先を馬鹿にされているようで腹がたつ。おまえら企業が儲かってるってことがどういうことかわかってんのか、と高圧的に言い返したくなる。とはいえたかが平社員が給料で声を荒げるのもみっともない。いつまで景気がいいかもわからないし、それに格差の国で給料の話なんて一般化できないじゃん。
こういう bipolar な framing は他にも色々ある。乗るにせよ反るにせよ、それらにひっかかってつまらないステレオタイプに巻き込まれたくない。語られていないことも色々あるから、ほんとはそういう話ができたらいいのにと思う。たとえば外国で暮らす寂しさや不安、気楽さや高まりというのは、金銭的な話以上に日々の気分に影響していると思うのだけれど、あまり語られていないように見える。まあ逆に古典的でベタ過ぎるのかもしれないけれども。
自分は bay area advocate にも critic にもなりたくない。日々の暮らしをどう感じているかみたいな個人的な話がしたいだけだ。でも謎の自意識に邪魔されてうまく言えない。ベイエリア日本人なんて別に珍しいものでもないんだし、気にしなければいいんだけれど。
あるいは、自分はただ雑さに負けているのだろうか。人生楽しいこともあるし大変なこともある。それを三年分まとめて書こうとするから平滑化されてつまらなくなる。日々を少しずつ、小さな主語で書いていく丁寧さが必要なのかもしれない。