Sick Leave

日曜夜から疲労感があり、翌日高熱頭痛でダウン。本日病欠二日目。だいぶよくなったので明日からは出勤できるだろう。

ちょっとがんばって余暇にコードを書いたりすると体調を崩す。体がボトルネックで頑張れないのはつらい。まあ体調を崩すのが概ねいつも頑張った直後なのは事実だとしても頑張ったあと常に倒れるわけではないから、「頑張ると倒れてしまう」というのは一般化しすぎだろう。ただ体調不良はシグナルとして受け取り、しばらくペースダウンの予定。

頑張ると常に倒れるわけではないとはいえ、頑張っている状態をデフォルトにできないのもまた事実だと思う。少しはマージンがないと不意のストレスやワークロードに対応できない。時間と体力が足りない。

様々な形で好きに使える時間が失われていくとき、できることは大きく分けて二つあると自分は暗に考えている。一つは「無駄な」時間をなくすこと。もうひとつは「他の」時間を諦めること。別の言い方をすると、無自覚に使っている時間を発掘するか、自覚的に使っている時間の内訳を変えるか。更に別の見方をするなら: 無駄を効率化するか、何かを諦めるか。

何かを諦めるのは得意な方だと思っていた。今やマンガや小説はほとんど読まず、ソーシャルメディア含むインターネットに費やす時間も減らし、長いブログも書かなくなった。けれど、本当の諦めはもっと深いところにあるのだろうとも思う。倫理的な理由から削れないと思っている家事労働や、健康のためのジョギングなどは今のところ聖域になっているけれど、これらを犠牲にするときはじめて自分の諦めの良さを問われるのだろう。趣味の時間をなくすのに大した痛みはなかったから。

でもその前に、自分が苦手な「無駄をなくす」ほうでもうちょっと手を打つ方が良いとも思う。働き方にはまだ工夫の余地があるし、家事や運動もそう。インターネットに使う時間もまだまだ多い。

最初の一歩として、頑張りすぎで倒れないよう「休憩」を意識して時間割に取り入れるようにしたい。いまはサボりと休憩の区別がはっきりしていない。Pomodoro をしている仕事中は休憩が休憩として機能しているけれど、たぶん何らかの planned break が生活全体に必要な気がする。休憩をサボリでなく回復の手段として自覚しないと、疲れからダラダラしたまま一日が終わってしまう。休憩が factor out されたら無駄な時間の不透明さも少しは改善されよう。

なので一日の中でどう休憩するかを考えたい。おっさんすぎて泣けるがやむなし。