適応
異国ぐらしに適応してきたと思うことがたまにある。二年も住んでいるのだから適応してしかるべきなのだが、仕事ばかりしてると思ったほど適応しない。たまに、なのはそのため。
最近の適応モーメントは、何かの予約で躊躇なく電話を使った自分に気づいた時。英語がうまくなったわけではなく、オンライン窓口の信頼のおけなさに見切りをつけた。多くの small business がウェブサイトを持ち form なりメールなりの窓口を設けている。が、だいたいちゃんと機能しない。反応が遅かったり無視されたり。
一方で電話は確実に通じる。しかも反応がリアルタイム。ちょうべんり。英語は未だにひどく通じないが、一方で自分は客だし、相手も(地元の企業の場合は特に)英語のできない相手に慣れている。
引っ越してきたばかりの頃は電話が嫌なばかりに頑張ってオンラインの窓口を探した。さらに昔を振り返ると、10年ぐらい前に海外出張でホテルの領収書をもらい忘れ、コピーを送ってもらうべく電話をしろと上司に催促されたものの腰が引けたまま数日放置、最後に嫌々電話をしたあとは心底疲弊したのを思い出す。遠くに来たような、あまり来られてないような・・・
予約や苦情など oneshot な電話ですぱっと話が通じることは滅多になく、自分の発音のひどさを思い知る。他方で話が通じなかった同僚にはだんだんと通じるようなっている。これは相手が自分のひどさに適応したのだろう。適応されてしまうのは語学的フィードバックとしては台無しだけれど仕事の生産性は上がる。週に一回ビデオ会議をするだけだとこうはいかない。引っ越してきた甲斐があったモーメント。