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ふとしばらく課外活動時間(子の就寝後 2-3 時間くらい)で仕事したらどうなるかな、と一ヶ月ほど試してみた。Boox 向けに書いていた課外活動が失速してしまったり、日中の仕事が雑事に追われて捗らなかったりしたため。つまり残業だな。

結論からいうと、全然ダメだった。

最初の数日は、捗らなかった仕事が進み初めてこりゃいいじゃんとか思ったが、すぐに「雑事」が夜の時間も侵食してしまった。雑事、すなわち性能バグの分析や修正。これらは夜の残業枠ではやらず、もうちょっと生産的な作業、つまり自動化の強化に使いたいと思っていたが、いざ眼の前にバグが積み上がってみるとそれを無視して他の仕事をやる気にはなれなかった。バグ修正の重要性はわかっているだけに、その優先度を無視するのは難しい。

そして時間がない!というと語弊があるけれども、他のことがガチで何もできなくなる。仕事、やることが自明な上に無限にタスクがあるため、いくらでも時間をつっこめてしまう。無限にタスクがあること自体は必ずしも悪いことではないはずだが、眼の前にあるタスク、つまりバグの分析・修正を生産的と感じるのは難しかった。この不毛な時間を減らすべく各種自動化を強化したいという動機で残業実験をはじめたわけだし。生産的ではないが重要とかわけわかんないけど、でもそういうのあるでしょ。

失われるのが課外活動プロジェクトの時間だけならまだマシで、実際にはやるべき家の仕事が後回しになってしまう。家庭崩壊リスクが高まり、良くない。

精神衛生が急速に悪化した。仕事というのはストレスがある。締切のストレスがあるし、それだけでなく性能バグ分析という作業の不毛さも課外活動時間では特に精神を削られる。他人にバグをたらい回すとかさ、やりたくないわけ。勤務時間中にこういうストレスがあるのはさすがに慣れたが、本来それを回復するための課外活動時間で更に心を削られてしまうと厳しい。残業をするまでは自分がここまでストレスに晒されているとは気づいていなかった。

これはいま時期的にチーム全体の仕事の忙しさが高まっているせいでもある(じっさいミーティングすると TPM が死にそうに不機嫌な顔をしている。)あとは仕事以外の家の細事にもいま若干のストレスファクターがあり、それも負担になっている。皮肉なことだが、仕事(や家)が忙しいときほどストレス対策には気をつけねばならず、すなわち残業するのは危険。

なおストレスと言っても、いわゆる「仕事をデタッチできないストレス」つまり仕事以外の時間でも仕事のことを考えてしまうは問題は、多少はあるがそれほどでもなかった。どちらかというと 1. 何も新しい情報に触れられないストレス 2. この時間がない状態で新しい危機が(仕事でも家でも)発生したら積んでしまうという恐怖 3. やりたいことが全然できないフラストレーション 4. 心の余力がないせいでしょうもないインターネットに時間を使ってしまう罪悪感 ... とかそういうかんじ。

そんなかんじでストレスが高まりすぎ、一ヶ月の後半は残業したくなさから子を寝かせた後にそのまま寝てしまう日が増え、結局そんなに働けなかった。ただし寝てるので課外活動もなし。寝て起きたくないとか鬱病みたいでやばくね?まあ朝は普通に起きるんだけど。


ただ自主的な残業を通じた発見もあった。

まず、WFH での残業はだいぶ違うね。家にいるので、会社で残業するより家族へのインパクトがない。家のことをする時間がなくなるとはいえ、すくなくとも夕方の家のルーティン(子の風呂、炊事など)は犠牲にならない。子が寝た後に画面のスイッチを入れればすぐ仕事ができるのは便利。去年もやむにやまれぬ事情から残業した時期があったから知ってたはずだけど、あのときは色々グロッキーすぎて気づいていなかった。

逆に言うと、辛くないな残業ならアリかもしれないとも思った。そういえば去年の年末に仕事のハカソンでスクリプト言語を作ってた時はちょっと残業したけど特に問題なかった。ああいう楽しい要素のある残業ならしてやらんでもない気がする。ただ今はそういうのができる時期でもないし、そういうプロジェクトを考える心の余裕もない。なので残業とかしないでやりすごした方がよい。

一歩さがると、残業してやってもよいと思えるくらい意義のある仕事を考えることには、もっと頭を使ってよいのではないか。「意義」というと社会的価値みたいな話になりがちだけどかならずしもそうではなく、例えば自分にとって学びのある仕事ならやってもよいでしょう。Kotlin 使ってなんかファンシーなものを書くとか、ふだん触れないデータ周りでなんかできるとか。いまはやってるのが性能バグの相手だから苦痛なわけで。

ただ新しいテクノロジを触れるだけだと別に仕事の外でもできるから、そこには仕事ならではのチャレンジがあるとか、認知されやすい成果に繋がるとか、そういう「仕事としての価値」が必要。

今のチームは忙しすぎで自明なやるべきことが無限にあり、あまり深く考えなくても目先の仕事をやっていれば最低限の成果はでる。なのでやることを考えるのをさぼりがち。一方でそういう仕事ばっかりしてると燃え尽きてしまう気がする。なので残業するかどうかはともかく、自分から積極的にやりたいと思える仕事を考えるのにはもうちょっと時間を使って良い気がする。もっというと、残業をするならまず時間を使うべきはそういう「やるべきことを考えること」なのかもしれない。今月はあまりに心が摩耗しててムリだけど、しばらくしたらまた考えてみたい。


ところでさ。新卒で働いてた会社とか「見込み残業」というナゾ制度があり、毎月 60 時間分の残業代が自動的についていた。そして、そんな制度があるくらいなので当然のように 60 時間は残業していた。たぶん 100 時間くらいはコンスタントに残業してたとおもう。

でもさ、60 時間とかすごくね?どうなってんの? 今月の自分、たぶん 2-3 hours x 10-15 days とかでたぶん 30 時間くらい残業したとおもうけど、それでこんなに疲弊してるわけ。60 時間とか到底不可能。まして 100 時間とは・・・。

当時のことを遠くから振り返ってみると・・・。まず、会社にはいたがいうほど働いてなかったね。同僚とだべったりインターネットしたりしていた。まあインターネットは今でもしてるけど、よりアグレッシブだった気がする。今思うとやばいレベルで働いていなかった。限りなく好意的に解釈すると、会社というのは金を稼ぐ以上にソーシャルな空間だった。今はそもそもだべる相手とかいない。自宅勤務がそれに輪をかけている。

あと独身なので残業しまくったあとも時間があった・・・いや、さすがに無い気がするが・・・。たぶん睡眠を削ってなんかやって、会社で居眠りとかしてたな。独身とかいう以前に若さとブラック企業勤務への適応の結果だった気がする。

仕事内容がもうちょっと TL 的にデザインしてコード書くみたいな内容で、自分が熱心だった面もある。仕事のことを、仕事以外の時間もずーっと考えていた・・・時期ばかりではないが、そういう面はけっこうあった。それと比べると今の自分の仕事への熱意のなさよ。


こう考えてみると、残業するしないはさておき今の自分の仕事へのやる気の無さは、会社員を続けていく上で問題な気がする。そりゃ出世もできんわ。

一方でやる気はでないがやるべき仕事が眼の前には山ほどあり、こいつらを無視して「楽しさ」を追求しても成果にはならない感触がある。本来はこういうのはチームとして挑むべき話なのだろうけれど、PM とは音楽性があわない・・・という最近の悩みに帰り着くのだった。そういえば PM との音楽性を乗り切るする手段として残業してみようと思った面もあったのだよな。やれやれ・・・。

まあこの先数ヶ月はやる気ないなりに働きつつ、電話機が出た後の余裕のある時期にやるべきことを課外時間で少しずつ考えるのがよいのでしょう。

まあぱっとしないながら残業への理解が深まったので、それなりに意味のある一ヶ月でした。はい。