2015/06/07: Designing the Pain

これを読んでいて思った事。とくに賛成とか反対とかではなく、関係あるようなないような話。

上の記事では、英語の難しさを「読む < 書く < 聞く」と分類している。というとだいぶ乱暴だけれど、まあ読み書く話す書くの難しさに序列をつける議論は良く見る。けれども、たとえば聞くのが読むより難しいのは本当だろうか・・・はさておき、読むより聞くのを重点的に訓練したほうが良いのだろうか。いまいち確信がない。同じ文章なら聞くより読むほうが簡単なのは確かだとおもう。でも文章の中身ってそのぶん難しいでしょう。そしてたとえば読むのが10倍遅いのと話を 1/10 しか聞き取れないのとどっちが不利益かというのも、そんなに自明じゃないと思うんだよね。

リーディングとリスニングの難しさの比較は本題じゃない。この序列はどこから来るのかを考えたい。それは、できない瞬間に感じる辛さ、ペインの強さに関係があるのではないか。リスニングできないと辛い。とっさに口から言葉がでないと辛い。読む速度が遅いのは、辛いというほどではない。うまく書けないのも、辛い時はあるけれど普段は割と大丈夫。

でもだからといって、読み書きの速度が遅かったり語彙がなかったり稚拙だったりすることで損をしていないとは限らない。たとえば、大量に飛び交うバグトラッカーの議論やメールを全部追いきれない、読むべき資料を放置してしまう、白熱したスレッドに口を挟めない、説得できない。ブログを書いてもまず HN や Reddit に載らない。気を引けない。こういう機会損失の大きさはランチの会話についていけない事実より軽いのか?わからない。でも刺すような痛みはない。オンラインの議論で折れる辛さは多少あるけれど・・・

ペインの強さと問題の重要度が同じとは限らない。これはバグトラッカーの「重要度(Priority)」と「緊急度(Severity)」の関係に似ている。昔のバグトラッカーは重要度と緊急度を区別していた。たとえばごく少数のユーザにだけおこるクラッシュは重要度は低いけど緊急度は高い、みたいに使う。この分類は紛らわしいので、最近は重要度一本のみのシステムのほうが多いと思う。

ペインで重要度を判断するのは, severity を priority とみなすのに似ている。実際のところ、これはそれほど悪いヒューリスティクスでもない。深刻なバグは、たとえ稀にしか起きなくてもさっさと直して悪いことはない。それにペインは自分を動機づけてくれる。英語ができなくて感じる憤りがやる気につながる。

近似としてもまあまあで、やる気がおこるボーナスつき。ペインドリブンは悪くない。

一方で欠点もある。ペインは対症療法に走りがち。バグでいうと、深刻なクラッシュを適当な NULL チェックを入れて直す感じ。本当は根深いデザインの粗かもしれないのに、急いで穴をふさいでしまう。同じように、英語のペインを感じる場面から逃げることで、仕事の質を下げたりキャリアの機会を逃してしまう。そうやって目先の痛みを塞ぐ所作が板についてしまう。これはたぶん、あまりよくない。自分がそうなりつつあるからわかる。

ペインドリブン以外に選択肢はあるのか?そもそもペイン以外に重要度を判断する術はあるのか?たとえば語彙数なんかは、世間で知られる指標と自分の現状からギャップがわかる。スピーキングなら、宮川さんくらい喋れればなあ、といった憧れは原動力になるかもしれない。こうした前向きな希望/目標ドリブンの勉強はありうる。でも希望だけだと心もとない。ペインドリブンの力も捨て難い。再現するクラッシュバグが直しやすいように。

自分の目標にペインを引き寄せることはできないか。たとえばリスニングを鍛えたいなら、本来聞き取れてほしい会話を聞く。読めてほしい本を読む。英語が苦手といいつつ英語圏のカンファレンスで発表している日本人プログラマがたまにいるけれど、それも引き寄せたペインに数えることができるかもしれない。

自分は英語のポッドキャストを聞いたり、日本語の本はきほん読まず英語でだけ読むようにしている。筋トレたる勉強に対し、これはジョギングみたいなもの。今まではそんなメタファで捉えてきたけれど、引き寄せたペインと考えることもできるな。


ペインドリブンから効果を引き出すには、自分の目標にあわせてペインを配置したい。ペインをデザインするとよい。セキュアなソフトウェアを作るために自腹でクラッキングコンテストを開くようなもの。あるいは遅いスマホでアプリを動かし性能の粗を探すようなものか。似たような議論を聞いたことはあるけれど、改めて考るとできることはまだありそう。

読むと聴くは引き続きやるとして、書くと話すのペインをどうデザインするか。話す・・・はアイデアなし。うーむ。まあジョギングじゃなくてペインなら、今までの自分のやり方とは違うアプローチがありそう。おいおい考えていきます。ストリート英語とかはこの路線なんだろうけど、さすがにガッツが足りない。

書くのは・・・やっぱりブログを日本語で書くのはダメだな。英語のブログ書き、練習にしてはフィードバックがないし、ジョギングにしてはきつすぎるからとやる気を起こせなかったけれど、ペインには違いない。ついったも同じ。

ペインをデザインする上で気をつけることはあるか。

まず、いつかペインが小さくなるという実感はほしい。だから訓練ナシでペインだけ、はよくない気がする。これは英語のブログ書きが抱えている問題の一つ。辛いだけでうまくなる感じがしない。たぶん書く訓練をセットにしないと盛り上がらない。

あとペインが辛すぎる、実害が大きいのも困る。仕事中の自分用メモを英語だけにすると進捗が落ちて諦めた。これは実害が大きすぎた。でもたとえば水曜日はノーIMEデー、くらいの緩さならいけるかもしんないね。

今年に入ってからは主に訓練サイドのことを考えてきた。このところやや煮詰まっていたので、ペインデザインに工夫の余地があるとわかったのはよかった。