ROM: Blowing Little Whistles

Kzys が管理職についてなんか書いていたので、自分も便乗して何か書こうかと思ったものの、その前に最近たまに考えていることを書いてみる: 下っ端でもマネージメントやリーダーシップについて思うことがあるなら書いたほうが良い。マネジメントの都合でなく、自分の都合でそれを語って良い。

自分と同世代の同業者は、マネージメントなりリーダーシップなりの仕事をやっている人が多い。そうでなければフリーランスやコンサルタント。特にインターネットの世界で名だたる有名人ほどこの傾向が強い。そうした人々はしばしば当事者としてマネージメント(以下字数節約のためにマネージメントとリーダーシップをひっくるめてマネージメントと呼ぶ)について色々かっこいい話をする。長年の経験や成果に裏付けらているだけあって説得力もある。

マネージメントをめぐる議論は、あるべき下っ端の姿を様々な形でほのめかす。なにしろ下っ端をマネッジしたりリードしたりするわけだから。つまりマネージメント語りはマネージメント当人(マネージャ、リーダー)についてだけでなく下っ端についても語っている。

下っ端も自分について語ることがある。けれど下っ端の語りにマネジメントへの意見がはっきりと現れることは少ない。多くは個人的な「生存戦略」みたいなものとして消化される。

結果として、マネージメントの意見は組織と個人双方に影響を与える一方で下っ端の意見は個人に影響することはあれ組織を動かす力がない。あっても弱い。

発言に影響力のある人がマネージメントに偏っているのもつらい。そういう人々の語りの中で定義される(組織にとって都合の良い)下っ端のあり方に影響をうける人は多いと思う。影響力がある人のかっこいい話を流されずに消化するのは正直けっこう難しい。かっこいいんだもの。

マネージメントと下っ端の都合が常に相反するわけではない。足並みを揃えられることは沢山ある。とはいえ下っ端も当事者として自分の望みを語らないと、他の都合が優先されてしまう。


政治と比べてみる。マネージメントだけが組織のあり方を議論している現状は、政治家や官僚だけが政治を議論しているのに似ている。政治家も官僚も国民すなわち下っ端(※言葉の綾です)のために働くことになっている。が、この前提は色々な圧力や思惑や誤解によって崩れがちだと多くの下っ端は信じている。だから activist や journalism が存在するし、政治に意見のある下っ端・・・というかふつうの市民・・・も多い。

下っ端会社員は必ずしも投票権を持っていないから、市民とはすこし違うかもしれない。一方で組織の execution に直接参加しているぶん、ふつうの市民が政治にもつより大きな影響力を持っている面もある。公務員みたいなかんじと言えなくもない。

国家公務員は内部告発の権利を保証されている。内部告発は政治の床屋談義はおろかふつうの journalism よりだいぶ覚悟がいる activism の極地だけれど、この法律は組織の姿勢を正す下っ端の存在意義をよく表しているとも思う。

下っ端プログラマがマネージメントについてなにか言うのは床屋談義に毛が生えたようなもので、極端な場合を別にすると国家公務員の内部告発みたいな覚悟は必要ない。マネージメントを悪者とみなす必要もない。ただ、それでも声をだした方が良い。音量のバランスがよくなるし、なにか悪いことが起きて本当に声を上げる必要があるときによく声が通る。たとえば Susan Fowler の記事は当人が勇敢かつ優れた書き手であっただけでなく、tech industry の sexism に関する年来の議論があったからこそ可能だった。

と、そんなに肩肘はらなくていい。幸い多くのプログラマは特段酷い目にあっているわけではない。概ね楽しくやってる。そういう平和な時分、仕事をより良いものにする上でどうしてほしいかを語ればいいだけの話。一定以上まっとうなマネージメントなら下っ端の声は聞きたいと思ってるよ。たぶんね。


Daniel Pink が Free Agent Nation を書いて 15 年。プログラマの中にはやっていき宣言みたいにロックなことを言う人もいて、ソフトウェア開発者をはじめとする知的ブルーカラーのあるべき生き方はこっちなのかな、と思うこともある。一方で会社に雇われて働くのはまだまだメインストリームだし、いいところも多い。

特にソフトウェア開発の世界では Agile manifest を発端に組織のなかでもボトムアップに個人を empower する流れが生まれた。その agile 世代にキャリアを踏み出し、個人として empower され成果をだした人々がいまマネージメントに舵を切っている。でも彼らはみな偉くなってしまったので、いま下っ端な個を応援する声はちょっと弱くなった気がする。カウンターがほしい。Erik Meijer の One Hacker Way はその extreme な例だとおもうけれども、もうちょっと穏当かつ持続的な切り口として下っ端のマネージメント語りがあってよいと思う。

追記

間を置きつつ断片的に書いているので ROM(Randomly On Management) というカテゴリに振り分けておくことにした。